初めて「加茂の里」のバイカオウレンを見たのは、10年以上も前のこと
林床を埋め尽くしていた可愛い花が思い浮かぶ
今日は、スプリングエフェメラルを楽しみ、石鎚神社が祀られるお山へ
下山後は、「桜のまち」の佐川城跡を訪ね、牧野公園の早春の花々と遊んで来よう
加茂の里
(9:20)〜(9:35)バイカオウレン自生地
〜(10:00)アセポラ越〜(10:30)清宝山
・石鎚神社(10:45)
(11:10)大たびの滝〜(11:40)バイカオウレン自生地
〜(12:00)土佐加茂駅
〜加茂の里 (2時間40分)
案内マップが置かれている集落活動センター「加茂の里」に車を停めさせていただいて出発します
土讃線の土佐加茂駅を発車し岡花駅へ向かう一両編成の列車を見送り、集落を抜けて林道を進む
歩き始めて15分ほどで、バイカオウレン自生地に着きました
散策路は、杉林に
ロープが張られ一方通行になっている
林床を埋め尽くす小さな妖精を愛でながら、歓声が上がります
(この場所は、10数年前に訪れたバイカオウレン自生地とは違ってました)
すぐ上の自生地も楽しんで、尾根を進むと、標識の所(上左写真)で車道に飛び出した
案内マップに拠れば、此処は「的(まとう)」
車道を進んで行くと、三叉路(上右写真) 案内マップには、「アセポラ越」となっている
「アセポラ」って、どういう意味なんだろう?
「大たびの滝」は帰りに寄ることにして、清宝山を目指す
途中の展望場から、佐川盆地を取り囲む山々を眺める
目の前に鉄塔の山、虚空蔵山 右に勝森、その奥に蟠蛇ヶ森
(写真には写ってませんが、鳥形山、中津明神山も見えます)
この上天気の中、ギッチャン達は勝森から虚空蔵山、斗賀野と周回され
アカリプタさん、reikoさん、ピオーネさん、keitannさんたちは、蟠蛇ヶ森の雪割桜を楽しまれていたそうです
林道突き当りの広場に、社が見えてきました
清宝山石鎚神社 富士浅間大神、石鎚大神を奉迎したと石碑に刻まれている
神社から一登りした所に、石鎚大神が祀られた石祠
石祠から北へ進むと自然石で造られた祠があり、その先が清宝山 (△岩目地 357.25m)
神社まで下りて来て、展望を楽しみながら、のんびりとコーヒータイム
アセポラ越まで引き返し、「大たびの滝→」「二ツ野 四ツ白→」に従って進むと
長閑な風景が広がっています (案内マップには、「京わらび」と記されている)
林道を下って行くと、水音が聞こえて来た
滝の上部に空洞(人為的に造られた感じでした)が有り、其処から見れば裏見の滝
水量は少ないけど、良い雰囲気です
滝の傍らに建つ小屋を覗いてみたら、中に祠が祀られている
調べてみると、石鎚大権現・筒上山大山祇神・大滝龍王を祀る大滝雨瀧神社だそうです
整然と積まれた石垣や、セメント造りの頑丈な橋
昔は、たくさんの方々がお参りされていたのかもしれません
アセポラ越まで引き返してお茶休憩後、来た道を帰る
途中で谷筋の道へ 最初はまずまずの道だったんですが、アララ
適当に下りながら踏み跡を探していると、右斜面に道らしきが見え駆け上がる
分岐から10分余りで、バイカオウレン自生地に帰ってきた
林床に日が差しこんで、妖精さんも朝より生き生きしている
早春を謳歌するスプリングエフェメラルに、いっぱい元気を貰いました
朝歩いた林道から分かれ、近道の登山道を下る
土佐加茂駅に着くと普通列車が停まっていて、ザックを背負った団体さんが踏切を渡っている
バイカオウレン自生地に向かわれているのでしょう
暫くして、アンパンマン列車が駅構内を通過 あっと言う間に見えなくなりました
駅から1分で、車を停めた「加茂の里」着でした
清宝山を振り返りながら、佐川町の牧野公園へ向かう
2017年1月に作成された園内の案内マップ(どの季節に来ても楽しめそうです、特に桜並木が素晴らしい)
平成2年、牧野公園が日本桜の名所100選に選ばれ、「桜のまち」として有名な佐川ですが
文化・文政年間から植樹が始まり、青源寺愚仲和尚が奥の土居(現牧野公園)に植栽したのが明治10年頃
明治35年、牧野富太郎博士によりソメイヨシノの苗木が送られたのを契機に一層整備される
戦後の荒廃期を経て、商工会を中心とした有志により公園づくりが新たに始まり
昭和30年後半には往時の景観を取り戻し、再び花見客でにぎわう「桜のまち」を取り戻したそうです
今日は、可愛い早春の花々が目当ての人々で賑わっています
ユキワリイチゲの出迎えを受け、園内散策 花見棟では、可愛いセツブンソウも咲いています
桜越しの黒森山 フクジュソウ
グランパ、そんなところで何しているの?
また、列車ですって!
物見岩からの眺めは最高! 何だか城主になった気分です
直ぐ下の広場では、河津桜が咲き始めています
佐川城跡へ 「開門〜」
砦のような郭跡や堀切、高石垣が遺り、堅牢な山城だったことが窺える
佐川城本丸跡 古城山 (△茶ノヱ松 200.73m)
天正元年(1573)頃、長宗我部元親の重臣・久武内蔵助が築城し
関ヶ原後、土佐へ入封した山内一豊候の筆頭家老・深尾和泉守重良が佐川一万石の城主となったそうです
河津桜咲く広場から下りて来ると、まぁフクジュソウが満開♪
バイカオウレンも満開〜♪
佐川町西町の酒造業「岸屋」の一人息子として生まれた牧野富太郎
幼少期は、「金峰神社」でバイカオウレンなどを採取して遊んだそうです
生家跡近くの「名教館」で学んだ後、東京帝国大学で独学 千種もの新種を発見したという
植物学の父・牧野富太郎博士の原点「佐川」で、一足早い春を楽しみ身も心もほんわか温まりました
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