2019年03月31日  ”雑誌越え 予州高山通り”





先週、雑誌山の帰りに「雑誌越え 予州高山通り」の標柱に出合う

調べてみると、土佐と伊予の交易の道であり、大師信仰の道でもあった雑誌越えは

天明7年、池川農民600人余りが黒滝峠を経て伊予領へ入った「池川紙一揆 逃散の道」

また、勤王の志士「中島與市郎殉難の地」として語り継がれている

峠道には、涙あり、希望あり、そしてロマンあり

天気予報はあまり良くないけど、「善は急げ」

2週続けて仁淀川町池川の大規模林道を走り、雑誌越えの基地・水ノ峠(みずのとう)へ


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る


歩行距離 13.6 km  累積標高 825m

水ノ峠(7:55)〜(8:15)大規模林道〜(8:30)林道分レ・道迷い(8:55)〜(9:50)地蔵〜(10:40)黒滝峠(11:10)
(11:50)沢へ下り立つ〜(12:20)西雑誌山〜(12:40)雑誌山〜(12:50)鳥居分レ〜(13:50)水ノ峠(5時間55分)



大規模林道を今日は右へ 500mほど走り、「水の峠3km」の道標に従い左に入る

ツボイ牧場横を抜け、舗装が切れると間もなく終点の水ノ峠(みずのとう)

広い駐車スペースの一段下に、大師堂、「勤王の志士 中島與市郎殉難の地」の碑が立つ



峠を吹き抜ける風が冷たい上に、粉雪まで舞ってきた

天気は回復傾向だし、一面雲に覆われることも無いでしょうと楽観的

「明神登山口10km、カラ池5.7km」の道標のすぐ後ろから山道に入る

左が雑誌山方面 右にミニ四国巡り 今日は峠道を下り左から帰ってきます

古道の雰囲気を感じながら緩やかに下る



7分ほど下ると「←水の峠」の道標があるが、この辺りから道が消えた

古道を探しながら歩くのも(上記「トレッキングマップ」の「×通行危険」部分)時間がかかりそうなので

ここは砂防ダム沿いを下り、直ぐ下の大規模林道に逃げる



歩き始めて20分で林道に下り立つ 左に梯子があるのに、なんでわざわざそんなところを?

林道?と思うほどの広い舗装路を15分 右写真のガードレール端が再入山ポイントだったのですが・・・



アララ! こんな所まで来てしまったわ

引き返し、この辺りを上がれば何処かで古道に当たるでしょうと作業道に入る

1017mpすぐ南の鞍部まで来ると、道が下り出した

枝尾根を強引に上がろうかとも思ったけど、急がば回れです

 

林道に下り引き返す ここが(左写真)古道への入口(25分ほどタイムロス)

ガードレールの端にピンクテープが巻かれています

薄い道を15分ほど緩やかに登ると「黒滝峠→」の道標 ホッと一息でした



△1021.5mへと落ちる尾根の鞍部を過ぎると、目指す黒滝峠が見える

雰囲気の良い明るい林床で、ヤマシャクヤクやバイケイソウが静かに春を待つ

アラ、コバイモの葉っぱ! 暫く眼を凝らしたけど、花は未だみたいです

緩やかに下り始め、「池川町有林」の白い標柱から先はずっと植林で展望は無い

下りきった所で沢に当り、ここから黒滝峠目指し緩やかに登り返す

逃散した農民や古道を行き交う人々は、此処で喉を潤したことでしょう 貴重な水場です 



すぐ、二体の地蔵さんが、杉葉に埋もれながら静かに佇んでいる

道中 数少ないチェックポイントです

杉枝、倒木、ブッシュなどかわしながら古道を進む

今日は、グランパ気合が入っています ザックに鎌を忍ばせてるけど出番はありません



この倒木の下は掘れ込んでいるので、道を外してないと思う

潜れそうにも無いので迂回する もう往還の雰囲気もロマンもな〜んにも無い

行く手に青テープを見つけて、一安心

まぁとにかく緩やかに登ってゆけば峠に着くはず、下るよりかは安心です

 

前方が明るくなり林床に低い笹が出てくると、峠の雰囲気が漂う

右下に作業道を見ながら進み、左写真(振り返っています)に出てきた

目の前が峠です



水ノ峠からロス込2時間45分、気になっていた黒滝峠に着きました

道標後ろの笹の中で、ひっそりと二体の石仏が、古の峠道の面影を残している



「池川紙一揆逃散の道、中島與市郎脱藩の道」と書かれたポールから南を見る

作業道がクロスしています 左上は、今歩いてきた水ノ峠 左手前は何処へか分かりません

右上は、この時点では雑誌山方面への道だと思っていた 右手前は猿楽石方面

逃散の一行は、土佐と伊予の国境であるここ黒滝峠を越え

猿楽大師を過ぎて、七鳥(美川村)に下り、菅生山を越えて久万の大宝寺の庇護を受ける

今日は、出来れば猿楽石〜二篦山〜輪戸内山〜黒滝峠周回も思っていたが、さてどうしよう

5時くらいには水ノ峠に帰れると思うけど、とにかく寒い

軟弱夫婦の国境越えは、又の機会にということで、風裏で暫し休憩

西雑誌山向け、右上の作業道を緩やかに下るが4分進むと行き止まり(右写真)

尾根に這い上がろうとしたが、結構な急斜面でしんどい 一旦、峠に引き返そうや

最近、グランパの山勘も老化傾向です いつまでもアナログ山行じゃだめかな?

ロスタイム15分余で、仕切り直し 峠から笹が茂る県境尾根を少し進むと、広い道になる



峠から5分で右下から作業道が合わさる(左写真 振り返っています)

作業道を進むと、右に先週登ったカラ池山や西雑誌山が見え始めた



あらら、作業道が行止まる 

風もあまり当らないし、「池川439交流館」で買って来たお弁当を食べましょう

食事&一服後、奥に進み尾根に出る 道があるような無いような

このまま尾根を進めば西雑誌山ですが、目の前の急斜面を見てちょっと弱気



右下に作業道が見える いったん下りようか

標高差50m位をダイレクトに下り、作業道に下り立つ この道は、どこから来てるの?

この辺り、作業道が入り組んでいます 再び沢を渡り、尾根に出て高度を稼ぐ



尾根から分かれトラバース途中から、黒滝峠、輪戸内山方面の展望

さぁ大詰めです 大きく切り返すと、見覚えのあるブナが眼に入る

西雑誌山の取り付きです

ところで、先週ここからカラ池方面に下った所に黒滝峠への道標があったけど

どこかでその道に出会うはずと思ったのですが・・・??? 



先週下った尾根を今日は登ってゆく  右に中津明神山

もう水ノ峠までは、尾根通しの一本道 迷うことは有りません



西雑誌山は通過 快適なブナ林の筈ですが稜線を吹く風は冷たい

冬支度でも、手が悴む

国道沿いの桜は満開してるというのに、ホッカイロが役立ったわ



登山口までのアプローチの長さから、恐らくもう二度と踏むことは無いと思っていた雑誌山頂上

先週の帰途、一本の標柱を見たばっかりに、2週続けての登頂となりました

雑誌山から8分で石鉄宮 今日は裏からお邪魔します



大きなブナを右に下れば、石鉄宮鳥居

参道だったのでしょうが、今は荒れていて道が有るようには見えません

ここから大小のコブ(初め二つはコブというよりピーク)を拾いながら、水ノ峠へ下ってゆく

最初のコブを頑張ると、第一級のブナ林が広がる



急峻な北側には、大規模林道が見える

二つ目のコブの登り返しは、結構きつい 疲れた足には堪えます



最低鞍部(水ノ峠より40mほど低い)まで、急尾根を標高差200mほど下る

途中、登山道脇に三角点(C蜂森1173.71m)



3つ目のコブを乗り越えると、水ノ峠

峠から東に祀られたミニ四国を少しだけお参りし、駐車地点に帰って来た

それにしてもこんな山奥にお大師さんとは! 信仰の力は偉大なんですね

花冷えと言うにはあまりに寒過ぎ、当然とはいえ誰にも会わない古道歩きでした



下山後、寛政6年(1794)に設置されたという関所、池川町下土居の「池川口関所跡」を訪ねる

北浦ふれあい公園の奥は、安居川が土居川に合流する「旧池川町指定史跡 安の河原」

天明の大飢饉の折、紙の自由売買禁止の藩命や年貢取立の重圧に農民は困窮し

池川・用居の男子601人が、此処に集まり、松山藩(現久万高原町菅生山大宝寺)に逃散

そんな歴史を知ってか知らずか、精一杯咲いた桜が川風に揺れている

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