2019年07月06日  ”由良山”


ログは手書きです


今日は用事で高松へ

折角だから、近くに簡単に登れて面白そうな山がないかなと探すと、有りました

由良遠江守の城跡があったという由良山に、石鎚社と雨乞いの神様・龍王社が祀られているとか!

清水神社(10:38)〜(10:53)由良山(11:01)〜(11:04)西登山口〜(11:25)東登山口〜(11:30)清水掘〜(11:38)
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毎年8月、雨乞いと五穀豊穣を祈願して「お火あげ」の神事が行われる清水神社にお参りし

境内右奥の大師堂前から、四国八十八ヶ所、関東二十四輩の石仏(130基余り)が祀られている森に入る



「不老長寿祈願之神」  今、あんまり長生きしてもねぇ

神様は、参院選の争点にもなっている年金問題を知っているのかしら?

「夫婦で95歳まで生きると2000万円不足するので、資産運用が必要だ」との、 金融庁の審議会報告を

「人生100年型の年金」を謳う政府の方針に反するとし、諮問した 金融担当相が受け取りを拒否した

報告書を受け取らなければ「100年安心」とでも言いたいのだろうか?

鬱蒼と茂る森に祀られた石仏に見守られ、緩やかに高度を上げてゆく



東登山口 登山道を逸れると危険個所があるので、ロープに沿って歩くようにとの注意喚起板

尾根に出ると有刺鉄線が張られており、右側を覗けば、オー恐っ!

柱状節理が剥き出しになった断崖絶壁の下の方に、掘削で出来た人工池や工事関係の建屋跡らしきが見える



由良山山頂 休まれている3人の方に挨拶をして、草叢の三角点(102.3m)を探す

山頂から東方向を見ると、緑が復活しても尚残る傷痕が痛々しい


 
山頂に祀られた石鎚社と龍王社

山頂北側に広がる高松市街地、高松のシンボル・屋島 屋島の左奥に浮かぶのは、先々週歩いた豊島です



山頂から西登山口へ下りて行く

 

岩盤を刳り抜いた洞窟が幾つかありましたが、「由良山防空壕跡」はかなり深そうです

洞窟の主は、お不動さん



  舗装路を少し逸れるとお不動さんが祀られ、目の前に大岩壁が迫ってきた

掘削跡に水が溜まって出来た「睡蓮の池」は、深緑色の水を湛えちょっと不気味な感じがする
 

 
一輪咲いた睡蓮を囲むように、浅沙(あさざ ミツガシワの仲間)の黄色が良く目立つ

ちょっと此処で、コーヒーブレイク

今の言論状況は、政権批判に対して圧力がかかる等、メディアの閉塞感が増している

6月30日で打ち切りとなった『上田晋也のサタデージャーナル』(TBS) 最後、司会の上田晋也は視聴者に語りかけた

『あくまで私個人の考えになりますけれども、いま世界が良い方向に向かっているとは残念ながら私には思えません

より良い世の中にするために、今まで以上に、一人ひとりが問題意識をもち、考え、そして行動に移す

これが非常に重要な時代ではないかなあと思います

  私はこの番組において、いつもごくごく当たり前のことを言ってきたつもりです

しかしながら、一方で、その当たり前のことを言いづらい世の中になりつつあるのではないかなと。危惧する部分もあります

もしそうであるとするならば、それは健全な世の中とは言えないのではないでしょうか』



荒涼たる掘削跡を見ながら進んでゆくと、三差路

清水神社の駐車場へはこのまま舗装路を下れば早いが、左折して東登山口へ

分岐から2分で、東登山口を左に見て直進 山神社を目指す



建物が崩壊しているけど、手水鉢も有るし神社跡のようです もしかしたら、此処が山神社なのかな?

神社跡から1分余で舗装路に下り立ち、張られたチェーンを跨ぐと田圃が広がる
 


田園風景の中に、「清水掘」と「由良石之歴史」の立派な石碑が並ぶ

柱状節理の雲母安山岩・由良石の採掘が始まったのは、江戸時代初期頃と推定され

戦争の中断を経て、300年に亘り採掘されたが20世紀の終わりと共にその歴史を閉じた

1966年には、皇居東庭の敷石に採用されたとある

地元、川島小学校校歌に”♪由良の岩山 聳ゆるところ・・・♪”と歌われる由良山を振り返りつつ

清水神社の駐車場に帰って来た

たった1時間の散策記録作成に一日がかりというのも何ですが、面白いお山でした


8月3日 龍王社のお火揚げ、石鎚社の夏祭り

剣山下山後、塩江回りで高松市由良町へ 清水神社で行われる夏祭りを見て来ました



清水神社は、2000年の歴史を持つ由緒ある神社だそうです

境内にある「清水神社 甕塚(しみずじんじゃ かめづか)」の説明に拠れば

ご祭神は、景行天皇の皇子である神櫛王で、王の同母兄が日本武尊と「古事記」に記されている

また、讃岐国造の祖として「日本書紀」に載る(讃岐に伝わる讃留霊王は、神櫛王と同一人物か?)

社伝に、この神櫛王の子孫が12口の甕を納めたとある

承和8年(841年)の大干魃に、僧・真雅( 801-879 空海の実弟)が甕を用いて雨乞いし雨を降らせたという

天正年間(1573〜1592年)の長宗我部氏の讃岐侵攻により9口の甕を焼失、また災害で一口を破損

村人は残された2口の甕を塚に埋め、雨乞いの際に、甕を取り出して使用したとされる

高松藩では他の寺社で雨乞いしても雨が降らない場合に、清水神社に雨乞祈願をしている

平成24年(2012年)、73年ぶりに甕塚から甕が掘り出された

2つの甕は既に割れていたが、復元作業をした結果、7世紀頃に作られた須恵器で

高さ約1m、最大胴回り1mと、かなり巨大な甕であることが判明した

そして宮司の手で雨乞い神事が執りおこなわれた後に、甕は再び甕塚へ埋め戻されている



祝詞奏上、玉串奉奠後、甕塚でお祓いをし、松明を掲げて由良山西登山口を目指す

山頂までは、ほんの短い距離ですが汗が流れる

夕日が高松市街や屋島を染め始め、心地良い風が吹く



龍王社、石鎚社、其々に神迎え、祝詞奏上などの神事が執り行われ、最後に全員で玉串奉奠

無事に夏祭りは済みました さぁ、幟を持って神社まで帰ります

飛び入りでご迷惑だったにも拘らず快く迎えて下さり、お弁当やジュースまでいただいて恐縮でした

宮司さん、地元の皆さん、ありがとうございました

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