2019年08月24日  ”児島龍王山”


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る


処暑も過ぎ、そろそろ夏の暑さも一段落でしょうか

ところで、雨が少ない瀬戸内海沿岸には、八大竜王を祀った山がたくさんあります

ちょっと調べてみただけでも、竜に纏わる山のなんと多い事! 俄然、興味が湧いて来る

新たな視点で、竜王(龍王)山あるいは竜王社が祀られている山を巡ってみようと

早速、倉敷百景・児島龍王山へ出掛けて来ました


児島駅(9:10)〜(9:55)観音堂(10:05)〜(10:25)龍王山〜(11:00)観音堂(11:10)〜(11:40)野ア家住宅(12:05)
(13:05)
児島駅〜(13:15)野ア浜灯明台JF岡山漁連ふゅ〜ちぁ〜〜(13:50)児島駅       (4時間40分)



JR児島駅から真西を見れば、倉敷百景・龍王山が手招いている

今日は、駅からウォーク

端正な姿の龍王山を見ながら、 「児島民話通り」「児島公園」を通り抜け

風の道」の出発点、下津井電鉄児島駅跡へ 涼しい風が吹き抜けて心地良い



麓近くに聳える山は、民話に語られることが多い

順番が前後になりますが、「児島民話通り」に紹介されていた「金の竜と青い竜」

昔々、竜王山に住んでいた青い竜が、度々児島の村々を荒らし回ったので、人々は東の大槌島の神に助けを求めた。
金の槌をもつ大槌島の神は、金の竜に変身し青い竜と瀬戸内海上で激しい戦いとなった。
黒煙が渦巻き電光は空中を走り、大嵐の中、火を吹き、水をはなち、尾は水面を打ち戦ったが、
金の竜はじりじりと追い詰められ島に隠れた。
いきおいを得た青い竜は、島を十重二十重にぐるぐる巻き、締め付けた。
突然、島がぐんぐん膨張し、ついに爆発して、青い竜は、バラバラとなって飛び散って行った。

青い竜の目玉は、竜王山に当たって砕け、水晶となり、今でも時々みつけることが出来る。
又、竜の体は島々となったり、骨は海中から引き上げられ、下津井の漁師はこれを削って薬としたそうです。
大槌島には、金の槌がどこかにあるそうな



池泉回遊式庭園の中央に野ア武左衛門の顕彰碑が建つ「野アの記念碑」

住宅街の細い路地を進み、「朝日山」「聖観世音菩薩」の石柱が建つ参道を上がって行く



石灯籠が並んだ参道突き当りの石段を上がると、朝日聖観世音菩薩が祀られる堂宇(観音堂)

先ずは、観音様にお参りしてから、前のベンチに腰掛け水分補給します

展望はスッキリしないが、吹き上がって来る風が爽やか〜



さぁ、西国三十三ヶ所霊場の観世音菩薩を巡ります

「青い竜さん、出て来んとってね」と思いながら、観音堂左手の石段を上がる

善女龍王の石碑 (何処かに善男龍王の石碑も有るのかな?)



観音像が刻まれた石仏を見ながら尾根を進んで行くと、立派な大鳥居が迎えてくれる

 その奥の広場に鎮座するのは、龍王宮の石碑  此処で雨乞いをしてたのかな?

三角点へ向かいながら、龍王宮を振り返る



途中の大岩からは、大展望〜♪

 舫ってはいるが、瀬戸大橋や鷲羽山の大観覧車が見える

龍王宮から数分で、龍王山(△209.2m)  狭い山頂から北へと、道が続く



祇園山(181m)や石鉄山(△220.2m)に向かって、尾根を下ってゆく

鞍部に下り立つと、道が左右に分かれる

 左「←赤坂」の道の方が広くて歩き易そうだけど、観音巡りは右へ

細道を進むと、直ぐに21番穴太寺



倉敷水島方面 ちょっとすっきりして来たかな?

24番中山寺の側を、掘割状となった鷲羽山スカイラインが走る



上池傍らに祀られている祠は、30番宝厳寺

少し登り返すと、31番長命寺、32番観音正寺、そして33番華厳寺がひっそりと佇む

木々に竹林が混じり出し、道が少し広く確りして来たら

善光寺如来、大(仙)智明大権現、薬師如来、弘法大師が祀られた堂宇が並ぶ

観音堂への道標に従って下ると、前方が開けて来た



王子ヶ岳、瀬戸内海に浮かぶ大槌島(写真では薄っすら)や堅場島(たてばじま クジラ島と呼ばれている)

もっとすっきりして来たら、屋島も見えるんでしょうが・・・残念!

暫く展望を楽しみ、智慧を象徴する宝剣と経典を持つ文殊菩薩に見送られ観音堂を後にする

  

再び「野アの記念碑」前を通り、「野ア家住宅」を目指す

 途中、迫力ある立像阿吽形像に招かれて、持宝院の鐘楼門を潜る

「児島ジーンズストリート」をウインドーショッピング



生垣の奥、国指定重要文化財「旧野ア家住宅」の長屋門が迎えてくれる 

野ア家は製塩業と新田開発で財を成した野ア武左衛門が、天保から嘉永年間にかけて築いた民家で

敷地面積が約3000坪、建物延床面積が1000坪近くある広大な民家跡です

中門を入ると、創建当時のまま保存されている表書院の前庭

手入れの行き届いた緑の庭も素敵ですが、サツキツツジが満開の春は華やかでしょうねぇ



草庵茶室前の枯山水 石は島、苔は池を表しているとか

台所の建屋横を抜けて来ると、大きな樽がたくさん置かれた漬物蔵、味噌蔵が並ぶ

昔は、雇用人に給銀の他、扶持米、味噌、醤油、番茶、漬物などを現物支給していたそうです



石炭の重量を計るのに使われた溜石 (一個が60kg(16貫)の分銅) 

母屋の右手に、「商人の城」ともいわれる土蔵群が並ぶ

今は塩業歴史や調度品、生活用品等の展示館として使われている 

(毎年2・3月には、岡山藩主から拝領した享保雛をはじめ様々な雛人形を展示)

 

倉敷市立児島図書館や天満屋ハピータウンに寄り道しながら児島駅に帰り

児島観光港にある江戸時代の木造灯台の遺構を見に行く

文久3年(1863)建立の「旧野ア浜灯明台」(倉敷市指定重要文化財)

塩竃神社の御神灯で、当時は野ア浜に出入する船や沖を航行する船の灯台の役目を果たし

昭和40年代始めまで照灯を続けたが、塩田廃止の頃(昭和44年)解体修理されたそうです

JF岡山漁連ふゅ〜ちぁ〜で食事をして、龍王山を見ながら帰路に着きました

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