先週、池川町で貰った「仁淀川町公式ガイドブック」を見ていたら
安居川の上流、手箱山山麓の大滝(瀧)神社に伝わる浦島伝説が掲載されていた
乙姫様が竜に変身しても登れなかったという大滝、見てみたい!
と、奥安居渓谷を尋ねて来ました
今年6度目 439(よさく)国道を走り池川町方面へ 高速並みの快適な道です
国道から分かれ、先週に続き、今日も安居川沿いを遡る
渓谷最初の見所、千仭峡を飾る「みかえりの滝」
滝の白い流れと紅葉、青みがかった石のコントラストが綺麗です
余談ですが 「滝」は氵(さんずい)に竜と書きます 滝はもともと竜の棲家なんですねぇ
渓谷に朝日が当たり始め、川霧がゆっくり消えてゆく
幻想的な雰囲気に包まれる、安産の神様「東陸(とうろく)様」
林道成川樫山線と分かれ、狭い国有林道に入る
少し進むと、「約5km先、路肩決壊により通行不可(嶺北森林管理署)」の注意喚起板
かけがえのない文化遺産を大切に!と書かれた「安居銅山」の説明板(読み難い箇所は、〇〇としています)
「正徳4年(1714)、幕府の聴許を得、伊予西条領大町庄屋・田中勝丞、銀元は京都畑冶左衛門の採鉱願による
文政元(1818)年5月、内田菊右衛門により再興。経営に乗り出す
文政4年6月(1821)、銅山に痢病が流行、悪病逃散の2夜3日のご祈祷が拝殿で行われた
文政7年6月(1824)、大風雨、銅山は山潮のため人夫小屋がつぶれ21人が〇〇、11人の負傷者を出す
天保12年10月(1841)、災害後は経営の方法を変えて続けてきているが、経営は困難であったらしく銅山休鉱となる
明治、大正、大阪の田中産業により採掘が再開、昭和13年日本鉱業に移ったが、戦後間もなく閉山となった」
渓谷最奥の手箱山を時折望み、分岐から4km程走って「大滝」入口に着いた
大滝(おおたび)神社(地理院地図に従い大滝としましたが、鳥居や社殿は大瀧となっていました)
神社登山口
(8:45)〜(9:10)大滝神社〜大峰宗大瀧山修験道場
(9:55)〜(10:30)登山口
(1時間45分)
大滝神社登山口 池川町が設置した「大滝→1.5km」の道標がある
大滝神社までと言われる方が、先行された
枝沢に架かる木や鉄の橋を渡りながら、安居川右岸を進む
岩壁直下に架けられた鉄橋、大岩の切通し
登山道は広く、緩やかで、歩き易い
「大峰宗石鎚山覚心寺」の方々が整備されているんでしょう
この橋は、湿っている上に微妙に傾いている 慎重に!
登山口から20分ほどで、本流に架かる鉄橋を渡る(橋を渡らず直進すれば、大瀧山修験道場へ)
鳥居を潜り苔生した石段を上がって行くと、大滝神社が鎮座する
「大瀧・たかおかみ神社(通称 水神様) 池川町大屋字ヲクヒノウラ」
御祭神は水波能女神・たかお神で、昔から雨乞いされていたそうです
先週、
「高龗神(たかおかみ)」が山に降る雨を司る龍神だと知ったところですが
成川樫山林道線で出会った大瀧龗神社は、此処の分神なのでしょうか?
神社から河原に下り左岸を遡行していくと、前方に橋が見えて来た
流れ落ちる滝は、この岩戸の奥
写真右(左岸)を高巻きすれば滝前に出られるそうですが、私には無理です
この地に残る浦島太郎伝説に拠れば
太郎の後を追って来た乙姫様が、竜に変身しても滝を登れなかったとか
一人山に登り玉手箱を開けた太郎 白い煙が立ち昇り、たちまち白髪のお爺さんになったそうです
それで、手箱山なんですねぇ!
石鎚山、筒上山、手箱山に降った雨がもたらす、「仁淀ブルー」
青く澄んだ水面が、神秘の輝きを醸している
橋を渡り、右岸の急斜面を切り返しながら登ると
河原から5分ほどで、真新しい白鳥居が迎えてくれた
鳥居に「八大龍王大権現」の神額がかかる
鳥居を潜ると、「大峰宗大瀧山修験道場」 靴が2足並び、中から話し声が聞こえてくる
山深い場所とは思えない、大きくて立派な道場です
道場裏から、大滝の落ち口を覗く 足場が微妙な斜度なので、ちょっとハラハラでした
手箱越へと続く登山道(左写真)が気になりますが、来た道を引き返す
(ネットに拠れば、この先はサバイバルの道だとか)
今日は誰にも会わないと思っていたけど、十数人の方々とすれ違う
23日は、月一の勤行の日だそうです
よくぞこんな所に登山道を造ったもんですね
登山口に立つ木の道標が、古道ロマンを語っている
消えかかっていますが「大滝、筒上、手箱、丸滝経由石鎚山」かな?
登山口の少し奥から振り返る 右に「歩道」と書かれた表示板がある
林道が無い頃は、この道を歩いて来たのでしょう
紅葉を楽しみながら林道を走り、分岐点に帰って来た
折角だから、安居渓谷「水晶淵」を散策〜♪
池川439交流館の「山村レストランよさくらぶ」でお昼をいただこうと思ったら、満席
流れてくるお囃子の音を聴きながら、ふれあい公園でお弁当を食べ、池川神社まで歩きます
池川神楽
400年の伝統を受け継ぐ土佐最古の神楽「国重要無形民俗文化財指定 池川神楽」の案内
「劒舞教立役神楽神儀巻譲者也 文禄二年
癸巳三月(1593)」と「神代神楽神儀」に記されているそうです
(新池川町誌)
鳥居を潜り、長い石段を上がって行く (神社まで車道有、20台くらい駐車可)
石段途中から下土居地区を見る 奥の山は、「三等三角点 竜ヶ水 911.77m」
幟が旗めく池川神社に着くと、ひときわお囃子の音が大きく響いて来た
毎年11月23日(12時〜4時)に奉納される神楽は、舞殿を祓い清める宮祓いに始まり
八百万の神を迎える神迎の儀、四天の舞等々、13演目の舞納めまで4時間かかるそうです
太い四天柱に囲まれた舞殿(拝殿)の天蓋枠周囲に切り飾りの白開(びゃっかい)が下がっている
笹の依り代を持った舞太夫が東西南北の方位を正確に踏みながら「手草の舞」を舞う
「池川神楽」でしか舞われないという「児勤の舞(こきんのまい)」
ゆったりと動く翁の、独特の所作が面白い
「天磐戸開舞(あまのいわとあけのまい)」
大神に侘びる舞を舞った天鈿女命、手刀男尊が礼拝すると、神々しく天照大神が登場
舞殿いっぱいに
妖しさを醸しながら、優美に舞う
無表情の面から、内面を読み取ってください
「四天の舞」は、池川神楽の切狂言の舞
四柱の神(四天王)が、神歌昌文を謳いながら地津磐根の悪鬼(大蛮)を掃給う
棒や笹を手に暴れる悪鬼、大蛮(だいばん)
お顔は怖いけど、スピーディでユーモラスな舞に拍手喝采でした
四天王と大蛮の和議が成立すると餅投げとなり、周囲は俄かに活気づいてきます
続いて、幼い子供たちが次々に大蛮に抱き上げられ、泣き声で舞殿は騒然
大蛮に抱かれた子は元気に育つ、と言われても・・・そりゃー、怖いでしょうねぇ
お餅は一つも拾えませんでしたが、神社の方が2個くれました
神楽舞はまだ続きますが
池川神社に祀られた「石鎚神宮」に参って、石段を下りて行く
ちょっと遠回り、天明逃散集合の地「安の川原」に寄り道してふれあい公園に帰って来た
今日は、山間に佇む「神秘の大滝」、そして「古式ゆかしい神楽舞」
美しい水の故郷・仁淀川町池川の歴史に触れた一日でした
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