2020年02月23日 ”鷲敷竜王山”


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る


太龍寺山を歩いた正月3日、那賀川に架かる田野橋から見上げた竜王山

まるで龍が天に昇るようなその山容に、「登りたい」という気持ちが湧き上がった

調べてみると、雨乞いの龍王神社が祀られているという



右手前の尾根を登りあの吊尾根を歩くんだと、ワクワクしながら仁宇集落に着き準備していたら

丁度通りかかったご婦人が「今は鹿や猪が道を荒らして、傷んでますよ」と気遣ってくださった

仁宇登山口(8:45)〜(10:05)龍王神社(10:15)〜(10:45)竜王山〜(11:15)ひらしん山
(11:45)鉄塔NO.44(12:05)〜(13:20)天狗谷溜池〜(14:00)P     (5時間15分)



登山口には、「龍王山登山口」と書かれた木の道標と三つの石碑がある

左の小さな角石は、たぶん丁石

全ては読めませんが、真ん中が「龍王神社丁石 明治三十八年四月」

右は「勝浦郡福川村 奉金十三両 行者堂二十三丁 世話人の名前 嘉永辛亥年正月」と刻まれている

町史に拠れば、右は「詫び石」だそうです



参道に入って直ぐ鹿が走り去る 成程、かなり荒れています

段畑跡かな? 石積横を進み、ザレ気味の急斜面を左に振ると



はっきりした尾根に乗る 振り返れば木の間に覗く那賀川が龍に見え、



通せんぼする枯れ木さえも龍に見える

尾根通しのしっかりした一本道を行く 

何故か全て倒れていましたが、古道の雰囲気を醸す丁石



登山口から1時間15分、大きな露岩が現れ始め、周りの雰囲気が変わってきた

東面が開け、横たわるのはもう一つの龍の山・太龍寺山



龍王神社の鳥居を潜り、苔むす露岩帯の先に、



龍王神社の祠が鎮座し、祭壇には龍の彫り物が供えられている 

「仁宇村乾の方にあり字王子前龍山の嶺に鎮座す豊玉姫命を祭る」と、町史に載る「龍神社」と思われます

祠横のセリ割行場(?) 小柄な私でも、ちょっとしんどかった



岩場を攀じ登ると、天照皇大神の石碑

大展望の岩場先端から太龍寺山を見る



西には、この後歩く予定のひらしん山から南に落ちる尾根

岩場が終わり、灌木帯の尾根を進む



標識が無ければ通り過ぎてしまいそうな竜王山頂上(710m)

植林に囲まれ展望も無いバカ尾根を進む

麓から見上げて期待したほどの快適な吊尾根歩きとはいきません



国土地理院 地図では、左写真が馬路峠付近ですが、峠らしき痕跡は見当たらない

地図を見ると、此処から西へ500mほど行ったところが、那賀町(馬路)と勝浦町(立川)を結ぶ峠のような気がします

ちょっと登り返して、馬酔木などの灌木に囲まれた「ひらしん山」 (B△長尾 723.23m)

「ひらしん」ってどんな意味なんでしょう、国土地理院地図の表示は、何故か竜王山?



ひらしん山から南へ 時折赤テープがありますが、とにかく尾根を進みます

30分弱下ると、右下に大きな鉄塔(四電南阿波幹線NO.44)が現れる

お腹も空いてきたし、鉄塔に下りてお昼にしましょう



鉄塔から北を見る 2本目付近が馬路峠(645m)かな?

此処から鉄塔NO.40まで巡視路を辿る 尾根道、トラバース道とバリエーション豊かです



満開の椿に見送られ、鉄塔巡視路に入る

取り付き早々、ザレた急斜面にちょっとハラハラでした



倒木を潜ったり、跨いだり、まるで障害物競走です

ステンレスの橋を渡る 杉の枝葉が終始道を覆っていますが、概ね歩き易い



NO.42から南を見る、鉄塔ポイントは絶好の展望場です 

鉄塔から12分 突如巨大な岩屋が現れる

昭和五十一年と書かれた祠は、山の神さんでしょうか? 大岩壁に護られて雨露を凌いでいる



祠から直ぐ、鉄塔分岐  下山路はNO.40方向ですが、ちょっと寄り道

鉄塔 NO.41から、露岩が光る龍王神社、竜王山方面を眺めて、分岐まで引き返す



鉄塔 NO.40から仲良く並ぶ竜王山、太龍寺山(右)を見る

竹林横を下り、満々と水を湛えた「天狗谷溜池」の堰堤に下り立つ

 堰堤の石碑に拠ると、「享保の大飢饉、天保の飢饉、大東亜戦争の食糧難も免れ

先人と溜池に感謝しつつ維持管理し、昭和63年3月改修」とある

町史を見ていると、阿井村に天狗谷山という山が在るが、どのお山かしらん?

「高凡三町周回詳ならず本村西の方にあり嶺上より三分し西馬路村に北は仁宇村に東南は本村に属す
山脈龍山に連なる雑木繁茂す登路一條東麓字天狗谷より上る長三町嶮なり
水流一條阿井溝と云馬路村より入り東流して天狗谷溜池に入る


堰堤で小休止し、登山口まで車道を歩きます



阿波九城の一つ、仁宇城址

戦国時代、湯浅兼朝によって築城されたが、天正13年(1585)に蜂須賀家政によって鎮圧

その後、家政の命により山田宗重が城代となり、寛永15年(1638)の一国一城令によって廃城となった

「良い山だったねぇ」と吊尾根を見上げながら、仁宇集落を縫って登山口に帰って来た


帰路、阿南市で梅見です



阿南市長正町角ノ谷「明谷梅林」では、梅まつり開催中 (2月16日〜3月15日)

例年より2週間ほど開花が早かったとかで、花弁が風に舞い始めていたけれど

たくさんの方々で賑わっていました


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