まんのう町尾瀬神社(おのせじんじゃ)
吉原地区の水分神社が神泉を貰って帰ったという、尾瀬神社を尋ねる
県道から分かれて20分余で、駐車場着
10分ほど歩けば、香川県保存木「尾の瀬神社のヤマザクラ」に迎えられ鳥居を潜る
昭和55年に設置された仲南町教育委員会の案内板「尾背寺跡」によると
「平安中期(897〜1086)に建立された真言宗如意山金勝院尾背寺跡地で
下寺41ヶ寺をようし七堂伽藍を備えた一大寺院であった
宝治 2年(1248)11月17日、この寺に参詣した高野山の高僧道範の「南海放浪記」には
「本尊薬師如来は弘法大師御作、御影堂には弘法大師御影並びに、七祖及び天台大師影を祀る」と記されている
平安、鎌倉、室町時代と数百年にわたって修験者達の道場として栄えた
天正 7年(1579)春、長宗我部の兵火にかかり廃寺となる
今でも鐘撞堂、大門
跡、墓の丸、金音川地蔵堂、千切滝、金剛岩等の地名が残っているという
寺院跡からは均正唐草宇先平瓦、八葉複辨蓮花文宇先丸瓦、布目瓦、名洲浜山双鳥鏡
白磁四耳壺(中国宋時代作)、青磁、白磁の破片、石茶臼島が発掘されている」
鳥居から少し進むと、御影石の玉垣が設けられた東屋風の建物が在る
此処が神泉所で、大蛇にまつわる伝説があるそうです
中を覗いてみると、神秘的なブルーの水面の神泉(周囲8メートル、水深5.7メートル)
説明板に「尾背寺建立の時、掘られたもので、平安の昔から懇々とわきいで
一度もかれたことがなく、神事に使われる尊い泉である
大干ばつ
のときには、当神社において雨乞祈願の際、
最後の結びとして神泉所において、「泉かえ」の行事が行われた
また、「お水もらい」といって近郷、近在から参
詣して
この神水を竹筒にいれてリレー式に運び走り帰って、
氏神に供え雨乞祈願をすると降雨があったと伝えられている 」
廃寺となった尾背寺跡に建てられた水分社が、明治に尾瀬神社(おのせじんじゃ)となる
ご祭神は、高龗神、闇龗神、水波能賣命の水の3神の他
久々能知命(木の神 )、火産霊命(火の神 )、埴山姫命(土の神 )、金山比古命( 金の神)
春の大祭 が5月第2日曜日、秋の大祭 が9月第2日曜日
本殿山側に祀られた社
自然石の燈籠や境内中央の苔むしたご神木(杉)が歴史を感じさせる
阿洲脇町の伊田頼蔵
石工による狛犬
爽やかな風が吹き抜ける展望休憩舎からは、讃岐平野が一望のもと
左に大麻山、その奥に善通寺五岳、瀬戸内海に浮かぶ島は讃岐広島や本島かな?
右に飯野山、満濃池の背後は綾歌三山が並ぶ
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