2021年07月03日 ”金毘羅街道(多度津街道)”



GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る

@金刀比羅神社(須賀の金毘羅さん) A一太郎やぁい像 B鶴橋の道標・燈籠 C庄の燈籠 D
三井正八幡神社 E善通寺中村の道標・燈籠
F下吉田の道標 G善通寺総合会館 H善通寺生野田の道標 I善通寺大麻町の道標・燈籠 J大麻町道標 K一之橋



江戸時代以降、北前船の中継地として発展した多度津港には

北海道の昆布や肥料となる鰊粕 などと一緒に金毘羅詣りの乗客がやって来ました

帰り便には讃岐三白の塩・砂糖・綿が搭載され、多度津の町は大変な繁昌振りを見せるようになります

今日は 、多度津港の繁栄と共に賑わいを見せた金毘羅参詣五街道の一つ、多度津街道を歩きます


JR多度津駅(8:30)〜(9:07)一太郎やぁい像〜(9:30)鶴橋〜(10:04)三井正八幡神社(10:15)
(11:35)
善通寺総合会館〜(12:18)地蔵池(12:30)〜(13:50)一之橋      (5時間20分)



並び燈籠と象頭山に見送られ、JR琴平駅から多度津駅へ

「四国鉄道発祥の地」多度津 鉄道ロマン漂う駅前から、傘を差して歩き始めます



「旧たどつ藩・お舟だまり跡」碑を見て、桜川沿いを進む

旧多度津港に建つ「金毘羅大権現 御上陸された地と伝えられる」の碑

多度津港は北前船の寄港地であり、金毘羅街道の玄関口でもありました

繁栄を語り継ぐ旧家や町並み、神社や金毘羅燈籠群(22基)などの信仰遺産が構成文化財となり

「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 〜北前船寄港地・船主集落〜」

として、令和元年5月13日 日本遺産に認定されています



金毘羅参詣の起点となった神社の一つ 金刀比羅神社(須賀の金毘羅さん)

琴平町の本宮例大祭に使用する塩水と海藻を採取する汐汲藻刈神事を行う場所だそうです

金毘羅橋を渡り、まず鳥居や燈籠が移設された桃陵公園方面へ寄り道



坂道の途中 金毘羅燈籠(天保十一年、1840)と、金毘羅鳥居(一之鳥居)

鶴橋から移設されたこの鳥居(寛政六年、1794)には、雷電為右衛門の名も刻まれている



金毘羅燈籠(天保十一年、1840)と、日露戦争に出兵する息子を見送る「一太郎やあい像」

眼下の厳島神社と、雨に煙る多度津の街並み



公園を下り、町家や多度津七福神の邸宅など雰囲気の良い建物が並ぶ本通りを進む

あれっ! ここにも金毘羅神社


「左 こんぴら道 右 いやたに道」道標が建つ鶴橋が、多度津街道の門戸です

橋の袂に金毘羅燈籠(天保十一年、1840)と、かつては一之鳥居(公園に移設)がありました

予讃線踏切を過ぎ、鶴橋から1km弱で、水路傍に庄の金毘羅燈籠(文化十四年、1817)



三井正八幡神社「三井
」は古来の南海道にも名前の出る要所です

雲がかかる五岳山や象頭山を見ながら田園地帯を進む

「こんぴらさん」のお山が見え出すと、参詣者の足どりは軽くなったことでしょう



中村の四差路に金毘羅燈籠(文化七年、1811)と、「三十七丁石」(弘化二年、1845)

  左右に石造の鳥居基部(二之鳥居? 安政四年、多度津の人々が寄進)が残っている

そして「右 多とツ道 左 金ぴら道」道標 此処で直角に折れ、左折します

 

金蔵寺駅方面に300mほど進むと

四差路東南角の住宅の生垣に、「はし久ら道」と「多とツ道」の重厚感ある道標



直線の舗装路歩きはしんどいと思いつつ歩いていると、何時しか善通寺の街が近付いて来ました

東赤石山や石鎚山では夏花が咲き揃い始める時季だけど、今日はヒマワリを楽しみながら歩きます



多度津街道の中間休憩地だったのが、善通寺門前町

金毘羅参詣者に
は、善通寺参拝も大きな楽しみだったと思います

今日は、お大師さんじゃなくJR善通寺駅方面へ

善通寺総合会館前には、こんぴら道や遍路道など12本の道標や燈籠が移設されています

我拝師山を見ながら整然とした官公庁エリアを進む




熊ヶ池の向こうに讃岐富士 キョウチクトウが咲き出せばそろそろ梅雨も終わりです

鶴ヶ峰と磨臼山(すりうすやま)の間を抜け南部小学校を過ぎ、直ぐ県道47と分かれ右へ



野田の「金刀比羅道」道標で、左折 道標が無ければ真っ直ぐ進みそうです

県道47を左に見ながら、地蔵池堰堤を歩く



「百三町 岩國 白銀屋」の丁石

草取りをしていたご高齢の方が「街道沿いの丁石をここに移設した」と教えてくださった

県道47へ出たところに、金刀比羅神社の燈籠と「左 こんぴら道」(嘉永五年、1852)の道標



JR踏切手前200m、「👆たきのみや道 👈ぜんつうじ道 👉こんぴら道」の道標に従い右へ

特急南風が、山燈籠の傍を猛スピードで走り去りました (多度津琴平間、たった14分です)



「岩崎隧道」を抜けると、大麻山麓に鎮座する大麻神社

1900年あまり前の景行天皇の時代、忌部氏が天太玉命(あまのふとだまのみこと)を

祀ったのがはじまりと伝えられ、延喜式にも名を残す古い神社だそうです



金倉川の左岸を進む こんぴら温泉のホテル群や川向に高灯籠が近付いてきた

燈籠が整然と並ぶ六軒町界隈が、多度津街道の金毘羅口だったとか

「金毘羅・多度津旧街道遺跡並灯籠及び鳥居跡
」の石碑が立っている



神明町通りで高松・丸亀街道に合わさる 

参詣者は、785段の石段を上がり、帰り便の海上安全もお願いしたのかも

今日は、土の感触が恋しくなる舗装路歩き約16kmの街道ウォーク、石段をパスし一之橋がゴールです


一之橋公園で足の疲れを取り、商店街入口の名物コロッケを買い駐車場に帰る

高燈籠が建つ金刀比羅宮北神苑で、起点石にタッチしときます



丸亀街道起点石「従是丸亀江 百五拾町」

六軒町から移設された多度津街道起点石「従是多度津江 百五拾丁」

江戸時代の人々は1日30〜40キロ歩いていたそうですので、150丁は余裕です

 ひょっとしたら

多度津港から本宮(奥社)へ日帰り参拝したかもしれませんねぇ



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