2021年08月29日 ”金毘羅街道(伊予土居駅〜三島神社)”



GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る



先週に続いて、四国中央市内の金毘羅街道歩きです

熱中症警戒アラートも出てたので、水分補給に気を付け

何度も休みながら、JR伊予土居駅から三島神社まで歩きました


JR伊予土居駅(6:50)〜(7:44)村山神社(7:55)〜(8:23)十一里〜(9:36)十里(9:48)
(10:33)
九里(10:42)〜(11:12)三島神社(11:21)〜(11:30)駅前P(4時間40分)



JR伊予三島駅から始発の普通電車(6時30分)でJR伊予土居駅へ

日曜日の早朝なので、車両は貸切でした

伊予土居駅前から、二ツ岳〜イワカガミ岳の鋸稜線を見る

 

常夜燈が立つ「蔦廼屋旅館」前から、先週の続きで東へ向かいます

今日も、燈籠や道標など石造物を探しての街道歩きです

天領中村の札場跡 正徳6年(1716)の日本回国供養の地蔵や常夜燈、お荒神さんの石祠



古子川に架かる松風橋 欄干基部に「三島迠二里三十二丁」の道標

レトロな煉瓦アーチ橋で、近代土木遺産に認定されています



小松藩儒官として招聘された近藤篤山の生家

佐久間象山が徳行天下第一の人と認め、今なお伊予聖人として讃えられています

美形の常夜燈 広場の奥に「土居町酪農発祥之地」碑がある



小林の椿堂光照寺門前に、常夜燈と二基の領界石

重厚感ある常夜燈 高さ3m20pもあるそうです 後ろは日露戰勝紀念碑



池面がヒシに覆われた尾山池 土手北に地神さんの石祠(天保2年建立)

法皇の山並みを眺めながら土手を進み、根々見で国道11号を横切る



国道から50m先に、火袋石、笠石が欠けた常夜燈と、左に地蔵尊(文政6年銘)

御料中村祢々み(根々見)の若者中が建立したという 三界万霊地蔵(寛政4年)



月島丸遭難紀念碑、安藤正楽・歌碑、折井愚哉・句碑

籠池手前に「金刀比羅大門迠十一里」「三角寺三里」「松山二十二里」の道標(明治44年建立)

と、「三角寺へ三里 奥野院へ四里」と刻まれた地蔵尊(寛政8年 津根村若者中建立)



道標手前の辻を左に入ると直ぐ「石鉄山大権現」、「社日宮(安政期建立)」と常夜燈

籠池東側の土手に常夜燈 ススキが穂を出し始め、青空を背に絵になります
 


民家の敷地に常夜燈 この辺りから緩やかな坂道となる

村山神社南向かいに、「これより三角寺へ三里」遍路道標


 
斉明天皇と天智天皇をご祭神とする村山神社 目通り5.7mの「ホルトノキ」は市指定天然記念物です

本殿左に祀られた石鎚神社(左) 常夜燈や桜の古木が立ち並ぶ参道で、涼をとります



二基の常夜燈 (一基は木に隠れています)

星流橋の手前「四国のみち 村山神社0.5km、平八幡神社0.6km」道標脇に、橘地蔵



今夏(といっても立秋はとっくに過ぎているんですが)、やっと百日紅が似合う空が戻ってきました

八幡大神社の鳥居越しに、花と水の名山・赤星山を望む



土居ICへの高架を潜り、大地川橋を渡る 此処にも「金刀比羅大門迠十一里」の道標がある

今日は法皇山脈の稜線がスッキリ見えます



長田観音堂横の祇園社 社前に石鎚神社の石碑

丁度建物の日陰になっているので、台座に腰掛けて小休止



通りを挟んで常夜燈(寛政9年建立) 竿石の青色がとても綺麗です

豊岡公民館を過ぎ、豊岡橋を渡って右岸を遡って行くと、左岸に今城神社が見える

神社へ行くには、豊岡公民館手前まで戻らないと行けません  また尋ねてみます



で翌々日、今城神社へ

享保7年(1722)、17歳の若さで豊田村の庄屋となった今城宇兵衛は、

毎年のように氾濫して田畑を荒らす豊岡川をなんとかしようと、私財を投げうって堤防工事を行います

ところが、困難を極めた堤防が竣工した享保17年、翌18年は未曽有の大飢饉となり

飢餓者が続出、松山藩川之江代官所に度々減租を嘆願するが聞き入れられず

江戸へ直訴して窮状を打開しようとしたが捕えられ、享保19年(1734)処刑される

宇兵衛の願いが許され減租となったのは、処刑数日後のことであった

村人たちはその徳を敬慕し、今も慰霊の祀りを続けています


境内に「石鉄宮」の石碑! 思わぬご褒美でした



三島川之江の煙突群や予讃国境の山々、遥か象頭山も薄っすら見える(と思う)

市指定記念物「関谷土師住居遺跡」入口 パスします



街道から右へ100mほど入ると、牛頭天王宮

大町の辻を北へ50m 国道交差点手前に「豊受神社、是ヨリ五粁」の道標



標柱や狛犬、燈籠が並ぶ厳島神社参道入口

JR寒川駅前を過ぎると諏訪神社 常夜燈や社後ろに地蔵菩薩(文政4年)がある



山門が中国建築様式の新長谷寺への分岐に、常夜燈

詔勅により、寒川の黒岩磯に流れ着いた行基作の十一面観世音をご本尊とし

眺望絶景の地・豊岡山に伽藍を建立したそうです

長谷川に架かる初瀬橋手前の四つ辻に「こんぴら大門より十里」の道標(復元)

「初瀬試観世音道」(明治26年建立)と、読み難いが「これより???三角寺??」の道標が並び建つ



道標後ろの寒川中部集会所敷地内に石鉄神社石碑

辻を北に少し下ると、天地親神神社がある

主祭神は天照皇大神、御守護神に豊受大神や天八代龍王大神、等々、思わぬところで龍に逢えました



三体の地蔵を見ながら、寒川の製紙工場地帯を進む

喜蔵橋の手前に、三界万霊地蔵と「金刀比羅十里、三角寺七十二丁 中之庄別道二十五丁」の道標



樋之谷川手前の常夜燈 傍らの小さな石碑に「金比羅神霊地」と刻まれている

直ぐ先に、こじんまりした常夜燈 私有地でしょうか?



寒川郵便局手前の四つ辻に地蔵尊

郵便局東隣、大榎に護られるように建つ石鎚神社石碑(標記はありません)

その前に、西条藩の領界石(街道北が西条領で南側が幕府領)



街道の面影漂う、「森之翠」醸造元篠永酒造主屋(国登録有形文化財)

大谷橋を渡って中之庄町に入ると、橋の東袂に地蔵尊が祀られている



中之庄町頭王の「へんろわかれ」に建つ

「左 金ぴらへ九里 前神寺九里 三角寺五十丁 奥之院百八丁」の道標(明治36年建立)

交差点の対面には「右 はし久ら道」の道標(明治14年建立 昭和58年再建)

遍路道は直進し三角寺へ、金毘羅街道は左折し三島神社へ向かう

「ヘンロ小屋しんきん庵・秋桜」で小休止します



今宮神社 主祭神は大山祇神、雷神、高龗神です

参道入口に、寛政9年建立の金毘羅大権現永代常夜燈

境内の一角に石土神社の石碑 



三島に入り、JR踏切を越えると三界地蔵(文政9年)

井関橋を渡ると、常夜燈(享保13年)と地蔵菩薩、妙法蓮華經書寫塔



伊予銀行三島支店付近に設置されていた今治藩陣屋 跡碑が向かいの歩道脇にある

三島神社への西参道(本町商店街)に入る



商店街を抜け宮川を渡ると、養老4年大三島宮より奉遷したのが始まりと伝わる三島神社

境内入り口に、「こんぴら大門より九里」の道標



風格ある隋神門には「石鎚大権現御神体捧持記念」や「石鎚参拝記念」絵馬が奉納されている

境内には、磐座、福島正則奉納の石燈籠など見所がいろいろありますが

今日は、「石」を探しての街道歩き、

本殿右の林の中で静かに佇む竜宝石の民話で締めたいと思います

むかし、余木崎の磯に「鯛寄せ石」とい珍しい岩があり、干潮時には岩のくぼみに二匹の鯛が泳いでいるのでした

鯛を売りに来る漁師からその話を聞いた中曽根村の長者が

千個の一斗樽に綱を付けて岩を浮かせ、舟で三島の浜まで曳いて、屋敷の庭に運びます

長者は竜宮の神様の石だと、海から汐を汲んでこさせて毎日岩のくぼみにいれ朝夕眺めたそうです

長者の子孫が三島神社に奉納し、
鯛寄せの物語を伝える「竜宝石」として祀られています


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