2021年09月11日  ”三角寺へんろ道”


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る



市内を走っていると、常夜燈や遍路・金毘羅道標がよく目につく

四国中央市は、標石密集地帯と言われているそうです

今日は、その標石を辿って中之庄町から三角寺までの遍路道を歩きます


中之庄公民館(7:10)〜(7:15)へんろわかれ〜(8:32)戸川公園(8:43)〜(9:55)三角寺
(10:25)
△三角寺〜(10:56)山神社(11:03)〜(11:25)三島川之江IC駐車場  (4時間15分)



中之庄町「へんろわかれ」の中務茂兵衛道標

「左、金ぴらへ九里」、 「三角寺五十丁 奥ノ院百八丁」

西方から重なってきた金毘羅街道と遍路道は、此処で沿岸部と山間部に分かれ

讃岐山本町三谷付近で再び出合いクロスします

国道11号バイパス歩道橋から三角寺方面を見る 早朝の雨雲は去り、薄日が射している

交差点北東角の「右 はし久ら道」の道標を見て、県道126を進む



300mほど先の辻を右へ 植え込みに、道標二基(天保三年、明治十六年)と地蔵

石床大師堂 こじんまりした境内に常夜燈や堂宇、茂兵衛道標(明治三十七年)、三界萬霊



不老谷川に架かる延命橋 刻字の上には、お大師さんの姿

国道319を越えると、左のマンション側に三界萬霊が祀られ

その直ぐ先に明治三十一年建立の茂兵衛道標と「へんろミち」の道標



折れてなお、遍路を導く道標(天明八年)

国道11号バイパス擁壁基部に、天明八年(1788)建立の道標と、向かいに三界萬霊



天明と言えば近世最悪といわれる大飢饉

そんな有事の中でも地域の人々は、お接待の心を温めていったんですね



国道を渡り、中曽根小学校とJAの間の道をゆくと、四つ辻にあるコンビニ敷地境界に道標が横たわる

今冬には標柱の役目をしていたと思うんですが、いつの間にか倒れてそのままです

宮川に架かる豊年橋先の民家ブロックになじむ、「三角寺一里」の茂兵衛道標(大正三年建立)



三島公園への広い道先の辻(現代版「へんろみち」道標在り)を右へ

ベンチが置かれた緑の空間に茂兵衛道標(明治三十八年)

その前に三基の道標、「右 へんろ道 文化十四年」 「右 三角寺 明治十五年」 「三角寺三十?丁」



八幡神社鳥居手前に、三界萬霊と廻國供養塔

八幡神社春祭りでは、5月5日に子ども相撲大会もあり、屋台などが出て賑わいます

子どもたちが小さい頃に、揃って出かけたのが懐かしい

中田井に入り、「左 扁んろミち 三角寺江三十四丁」の道標(文化五年)



水路のような小川に架かる橋手前に「此方 扁んろミち」(文政八年)と、

その先の辻に「此方 遍路道 三角寺三十二丁」道標(文化十五年)



おそらく中曽根村一美形の自然石常夜燈(正面から見たら肥満気味ですが)

寛政三年建立「此方へんろみち」の道標と三界萬霊



高速道路の高架を潜った所に、安政三年(1857)建立「三角寺三十丁」の道標と説明板



「へんろ道と道しるべ」

 

高速道路側道を50mほど進むと、「右 扁ん路みち」の真念道標と説明板

建立年は無いけど、「願主 真念」となっているから元禄(1688〜1704)頃の道標かと思う

300年余を経ても「為父母六親」「施主大坂寺嶋 阿波屋甚右ヱ門」と刻まれた文字は確り見えます

此処を右に折れ、広い墓苑を抜け山裾を進む



滴を湛えたツリガネニンジン

へんろ道を忠実に来たら、思わぬ苦戦 ハラハラドキドキでした

真念道標のもう少し先で右折すれば、こんな茂った道歩かんでもよかったのに



なんとか車道に出ると、一段高いところに明治三十一年建立「左 三角寺 右 前神寺」の道標

柱尾集落を発電所向け緩やかに下っていると

生垣の中から、元治元年(1864)建立「三角寺二十二丁」の道標が頭を出す



戸川公園で、小休止

お遍路さんの鎮魂碑の前に、天保十二年(1841)建立の道標が建つ

戸川公園の直ぐ上に、疎水神社 日本一の紙産業地帯の礎です

水の恵みに感謝して、毎年「疎水感謝祭」が行われている



整然と積まれた民家の高石垣

「宇頭乃御燈」 元々は、北岡山三号古墳の上に鎮座していた若宮神社の燈籠で

明治42年、この場所に移されて以来、地域の人々やお遍路さんの足元を照らしてきたそうです



元文四年(1739)建立 「三角寺十八丁」の丁石

元文と言えば、暴れん坊将軍吉宗の時代 今回、建立年が分かる道標では、これが一番古いです

(真念道標建立は多分17世紀後半なので、もっと古いとは思います)

菜の花や 上り下りの 十八丁  寛政四年に訪れた、小林一茶の句が残る

天保十四年(1843)建立 「此方 扁んろミち」の道標



「三角寺十七」(駒形の)丁石

三つ辻で導くのは、万延二年(1861)建立「此方 扁んろ」の道標

契川左岸、水路沿いの狭いコンクリート道を300mほど進み、橋を渡る



車道に出て少し進むと、

建物壁面に描かれたお遍路さんが、「あと3分でひびき休憩所じゃ」とエールを送ってくれる

丁石の足元が茂っていて近付き難いですが、「三角寺へ十五丁」と刻まれているようです



ひびき休憩所から、今日のゴール付近の東宮山(中央)と川之江方面を見る

林道から分かれ、セメント道を登ると「おかげの地蔵」 常夜燈が良い雰囲気を醸しています

「おかげがありますように」と、手を合わせました



直ぐ先に、嘉永五年(1852)建立「左 へんろみち」の道標

夏草が覆う林道に出て、ミカンやハナシバ畑を縫うように切り返し進むと入山点

茂っていたら引き返すところですが、綺麗に刈り払われていました 感謝、感謝で進みます



緑のトンネル(20m位)を抜けると、普通の山道になる

十丁石辺り、備後や丹波等と刻まれた志半ばの人々を弔う墓碑(へんろ墓)がある



九丁石と、明治二十一年建立の「三角寺道 村松大師道」の道標

金毘羅参詣は、船に乗り「飲みねえ、飲みねえ 寿司食いねえ」と

賑やかな集団行動のイメージですが、四国遍路はお大師さんに見守られた同行二人の一人旅

苔生す道標を見ていると、金剛杖をついた菅笠・白衣のお遍路さんが思い浮かびます



古道の雰囲気を持つ石畳を進んでゆくと、二本の道標

右の道標には、「三角寺へこれより六丁 三角寺ニ於て通夜が出来ます

高祖大師の御開帳もあります 奥の院へこれより六十四丁」と刻まれている

分岐 道標に従い左へ



緩やかに高度を上げると、車道に出る

車道を進むとすぐ右手の藪の中に、文政七年建立の「三角寺道 四丁」の道標

 三角寺はもう直ぐです



四国八十八ヶ所第六十五番、「菩提の道場最後の札所」三角寺到着です
 
桜やモミジの葉っぱの色が微妙に変わり始めた境内を進み、本堂にお参りします



本堂前の中務茂兵衛道標「奥の院是より五十八丁」

キレンゲショウマの名残を見て、境内南角から「奥の院道」に入る

擬木の階段を登り、奥の院道と分かれ、境内裏手の丘陵地に拓かれた畑作地を歩く

市街地から近いエリアなんですが、平家の隠れ里のような雰囲気です



後ろから来られた方に挨拶したら、何とヒコーキ1号さん!

3号さんも遍路道整備に来られていたそうで、先ほどまでお話されていたとか

上の右写真をよく見ると、左隅の家の近くに3号さんが写っていました お会い出来ずに残念!

一緒に新四国八十八ヶ所の道を下り、車道に出てヒコーキ1号さんと別れ、右へ

伊予三島駅指標の直ぐ先で、妻鳥方面への遍路道に入る



新四国第六十四番・前神寺と、後ろに四等三角点・三角寺(332.93m)

第四十五番・岩屋寺のご本尊不動明王が、メダケ(女竹)に囲まれた岩屋で睨みを利かす



ヤマザクラなど見ながら尾根道を下っていると、突然、イノシシが飛び出してきて、ビックリ!

道標こそありませんが、三角寺と共に歴史を刻んできた古い道なんでしょう、深い掘割が残っています



現代版道標と、文字が消えてしまっている看板 何が書かれていたのかしら?

ガードケーブルの切れたところから車道に出る

広々とした車道脇に車が数台停められていました 皆さん、三角寺さんかな?



車道を少し下ると「高速バス停→」  指標に従って、左折する

コンクリート道終点にある「三角寺へんろ道」指標のところで、「太陽の家」からの車道と合流

山口の「山神社」 今日も無事歩くことが出来ました ここで手を合わせておきましょう

 

「山神社」から100mほど西、小川を挟んだ杜で佇むのは、山口の「石鎚さん」

(石鎚の表記は見当たらないが、地元で言伝えられています)

7月1日の石鎚山のお山開きの日に合わせ、お祭りをしていて

昔は芝居が来たり、いろいろ賑やかだったそうです

さて、今日の最後の目的地「陵墓参考地の東宮山古墳」へ

石段途中に、雰囲気の良い山燈籠が佇む

 

300段弱の石段を登り詰めると、悲哀の皇子・木梨軽皇子が祀られた東宮山古墳

環頭太刀や金銅製冠等の副葬品が出土し、現在宮内庁が保管しています

「第19代允恭天皇の時代、軽皇太子と軽大娘皇女の兄妹が、伊予の国に配流となる
 軽皇太子は川之江の妻鳥に送られ 軽大娘皇女は松山の姫原に送られます
遠く東と西に離れたお二人は配所の月を眺めながら、兄君を懐かしみ、妹君を憶い、
そうして三年の歳月が流れ、一度も会えることなく儚くなられました」
 
  天飛ぶ 鳥も使ひそ 鶴が音の 聞えむ時は 我が名問はさね       軽太子

  君が往き 日長くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ 軽大郎女



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