2021年11月20日 ”翠波峰”


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る




自宅から西を見ると、翠波峰直下に尖がった山が目に入る

「端正な山だなぁ」と、登れるとも思わず何時も眺めていた

ところが、あの天辺に山城跡(正法寺山城)が在ると伊予三島市史に載っているではありませんか!

調べてみると、城跡付近まで中之庄地区の保安林の作業道が続いているらしい

それじゃという事で、正法寺山城跡を尋ねてから翠波峰、松尾城跡と周回してきました


P(7:00)〜(7:40)正法寺山(7:55)〜(8:46)法皇スカイライン〜(8:54)翠波高原展望台(9:09)
(9:33)
西峰〜(9:48)東峰(10:00)〜(10:07)水波神社〜(10:23)アヤメ池(10:35)
(11:26)
松尾城跡(11:35)〜(11:50)登山口〜(12:05)P        (5時間5分)



国道319号権現トンネルを抜け、大谷大橋西詰に車を停め、歩き出す

(余談ですが、忘れたスマホを取りに帰えるも往復10分。近くで良かったです)

山田大橋先の法面につけられた急階段を上る 振り返るとこんな感じ(右写真)



直ぐ、送電鉄塔

少し進むと、右から道が合わさる



古道もありそうだけど、折角だからと広い作業道を進む

でも、結構急坂です

正法寺山を巻いている 作業道を逸れ、「保安林改良事業 城山乙109」の石碑から尾根直登で城跡を目指す

下草も無く、よく手入れされている植林帯なので歩き良い



 石碑から、10分弱で正法寺山城跡碑が建つ459mP

主郭と思わるる台地の周囲は掘切が張り巡らされ、石垣跡も残る

市史に、天正以前、正法寺左衛門尉の城砦が在った (館は寒川村字神ノ木)と載る



南北に長い城郭跡を探索しつつ、尾根を南へ

要害堅固な山城ならではと思いながら、転げ落ちそうな急斜面を下る 

堀切を越え尾根をさらに進むと



「正法寺山城跡」の標識が建つ作業道に出合う

城跡から法皇スカイラインへ出るまで藪いていたらどうしようと、少し不安でしたが

植林のための作業道が続いていました 枝分かれしている道を数ヶ所左に見て、直進します


 
正法寺山から50分で、法皇スカイライン(左写真のちょっと先)に出て右へ

ここまで植林の中のうっと暗い退屈な道でしたが

「ミツマタの里」の東屋まで来ると、目の前が一気に明るくなりました



翠波高原展望台へと、車道を進む

二ツ岳や豊受山・赤星山方面、冬支度した高原を見ながら小休止

 

さぁ、双耳峰の一角・西峰を目指しましょう

広い石段を登る途中、翠波高原を振り返る

 

西峰直下の展望台まで、快適な遊歩道が続いています

展望台からは、ひと登りで西峰頂上です

 

見下ろせば、正法寺山(右下の山)

東峰との鞍部に佇むアカマツの傍らに、三等三角点 水波山889.58m

 

紅葉のトンネルの向こうから東峰が呼んでいます

東峰から見る雲海&ご来光は素晴らしく、四国中央市の宝です

日差しが心地良い小春日和の陽気では、雲海もありませんが

お気に入りのベンチに腰掛け呉石方面を見ながら、のんびりとお茶タイム

 

水波神社向け、急尾根を下る 岩場を越えると、

水波能女神、大雷神、高龗神が祀られた水波神社 (明治40年、松尾城跡に分社を勧請)

古来より、旱害に悩む地域住民の厚い信仰を集め、雨乞い踊りが奉納されてきたそうです

 

本殿背後の絶壁から、銅山川を見下ろす

立派な石燈籠が両脇に並ぶ長い石段を下り、鳥居を潜り林道を進む

すぐ先で、右の登山道(旧参道)に入る

 

車道を串刺しにしながら、登山道(旧参道)を下りてゆく

アヤメ池に下り立つ手前、杉の古木根元に、

「御本社 水波大権現」、「御本社 八代龍王 迄 八丁」と刻まれた石碑が建つ

 

ススキに囲まれたアヤメ池は、市指定天然記念物 「ノハナショウブの自生地」  

一時絶滅寸前だと言われていたけど、今も咲いているのかしら?

法皇スカイラインに出て小休止(向かいの看板左が下山口です)

 

水波神社方面を振り返り、広い作業道を下りてゆく

以前とは随分様変わりしていましたが、登山道の名残もあります

 

スカイラインから15分で「くれ石」分岐(左写真 振り返る)

「左 行者成→クレ石→スカイラインへ」の道標もあります 

「クレ石」、気になりますが、堀切峠東の呉石山(826.9m)とは違うようです

枯れた桜の巨木が、古道の雰囲気を醸します

 

また気になる分岐です 「中曽根道 向成→東佛→三谷丸山道」の道標

分岐から少し下りて行くと、登山者、参拝者を見下ろす「佛地蔵」が鎮座する

 

「城の山二の鳥居」 柱は傾き、笠は落ちて鳥居の形はありません

登山道から分かれ尾根を進むと、市指定史跡記念物の松尾城跡(右写真 振り返る)

市史に拠れば、「中曽根町の石床川上流で両側を深い谷間に挟まれた険しい尾根に築かれた城郭。

室町時代の山城で、真鍋大炊介の居城であったが、天正十三乙酉(1585)、小早川隆景の侵入で落城した」



城跡からどんどん下り登山道に復帰したら、「松尾城跡→」と直進の道標 

城跡から右に振って下りる筈なのに、広い道が左に続いていたので

道が付け替えられたのかと思ってたら、鉄塔巡視路を下りて来たようです

ほんの少し藪っぽい箇所を通り抜けたら、登山口が見えてきた



登山口には、分かり易い表示板がありました

より身近に感じ出した正法寺山の尖がりを見上げつつ、国道へ下り権現トンネルを抜ける

「キ〜ンコ〜ン♪ カ〜ンコ〜ン♪」

お昼のチャイムを聴きながら、山田大橋を渡り駐車地点に帰ってきた

身近な山の新たな発見に気分も上々、とっても楽しい山行でした


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