2021年12月04日  ”予讃の峠道(安徳帝の道)”


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る


古来人々は、公務、商い、信仰、戦さなどで峠道を歩きました

市街地から10kmほど離れた、山懐切山地区に興味深い伝説が残っています

元歴元年(1184)6月、安徳天皇一行が、阿波から国境を越え切山に潜入し

文治元年(1185)正月、讃岐の須田に向かうまでの半年間、隠れ棲んだそうです

今日は、その安徳天皇が歩いた峠道「潜入道と下向道」の一部を歩きます

(参考文献 切山平家遺跡保存会発行のウォーキングガイド)


P(8:15)(8:30)下八幡宮(8:45)上八幡宮(9:56)下谷越(10:36)△石砂
(10:51)
五郷越(11:08)(11:50)P (3時間35分)



高速川之江東JCTの高架を潜り、下川川沿いを奥へ

射場地区の燈籠(嘉永七年九月)(※以前 地元の方にお聞きしたら再建だそうです)



牛飼野(文政十一年三月)、竹花地区(文政十一年?月)の金毘羅常夜燈

「こんぴらさん」が目につきますが、今日の主役は安徳天皇 先に進みます



最終集落手前に車を停め歩き始める

すぐ三方向に車道が分かれ、左に入る 右の道に「龍王の滝900m」の道標がある

川沿いの狭い車道を進むと分岐 右から下りてくる予定です



安徳天皇一行を無事切山まで導いたとされる熊野権現が祀られています

歩き始めて15分で、応神天皇を祀る下谷八幡神社(下の宮)

拝殿前の石段から振り返る 中央の立石は「刀石」と呼ばれているそうです



さらに5分で、仲哀天皇、神功皇后を祀る下谷八幡神社(上の宮)

右の石碑は「伝承 霧山侍の足跡」 八幡神社右に安徳宮



神社境内横の道標、「安徳の窪800m 安徳の淵100m 安徳の滝1km

安徳帝下向道、詫間町須田浦30km」を見て右岸の山道に入る

すぐ「安徳の淵」 水量が多いです



「安徳の淵」から2分で二俣、下向道は渡渉し向かいの尾根に取り付きますが

道標に従い、まず背面の「安徳の窪」を尋ねます

やや急な坂道を4分、突き当りのこんもりした丘に「安徳天皇行在所」の石碑



すぐ後ろに「安徳の窪 安徳天皇仮御所跡 神器奏安伝承地」

安徳天皇はここに仮の宮居を建て、半年間住んでいたといわれている

向かいの山は、900年以上前と変わらない紅葉で彩られています



引き返し、(「安徳の滝」はパスします)、渡渉して二俣間の尾根道に入る

急斜面をジグザグ登り、10分で林道に出る(右写真)



林道からこの後歩く予讃の国境尾根を見る 中央が高丸山か?

小休止し、林道山側の下向道に入る

羊歯藪が鬱陶しい 昨夜の雨で濡れていて膝下がびしょです



ちょっと道を逸れ、法皇山脈呉石山方面を見る

薬師尾お薬師さん跡 五士の一人が薬師如来の像を刻み、ここに安置したと伝わるそうです



林道から25分で下谷越(左写真、右から上がって来た) 北西風が強く寒い

田野々方面にしっかりした道がある 一行はここを下り、讃岐詫間の須田の浦そして長門へ

下向道と分かれ、国境尾根を五郷越に向かう おなじみのプレートが木に掛けられています



544mpは要注意 ピークから右に鋭角に曲がります

下谷越から30分、こぶを右に30mほど進んだ所に高丸山頂上標識がある(今日の最高点)

引き返し縦走路を進むと、四等三角点石砂(588.93m)



三角点から15分ほど下ると、五郷越

左写真は林道を横切り、下りて来た尾根を振り返っています

東側の海老済石砂(えびすくいいっさこ 難読です)方面に下る山道があります

縦走路を少し先に進むと展望がある 東に雲辺寺山

いい色に染まっていますが日差しが欲しい



西に肥窪地区 ずっと奥には法皇山脈

さてここからが問題です、安徳天皇一行が歩いた言われる「潜入道」を下るんですが

それらしき道は付近に見当たりません 落ち葉の積もった林道を下ります



五郷越(左写真稜線鞍部)から10分で肥窪地区

右岸に山道らしきがありそうですが、渡渉がしんどそう もう車道を下ります

先ほど歩いた車道に出合い、ログを重ね駐車地点着


今日はグランパ単独でしたが

下谷越から田野々への道、五郷越から石砂への道は、(私も)歩いてみたいです


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