2021年12月12日  ”予讃の峠道(五郷越)”


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る


伊予と阿波に接する讃岐の辺境に、五郷(ごごう)という地域があります

柞田川源流部に扇状に広がるこの地域は、田野々越、五郷越、曼陀越の峠道を介して

二国との交流玄関口としての役割を果たしてきました

今日は、明治期までは五箇山と呼ばれていたその五郷の一角、

平家伝説も残るという最奥部の海老済石砂(えびすくいいっさこ)と有木を尋ねます


P(8:05)〜(8:52)△駒管山〜(9:30)五郷越(9:48)〜(10:10)P  (2時間5分)

 

県道8号から分かれ、石砂集落へ

観音さんにお参りし歩き始める 境内の樹齢約400年の山もみじに信仰の歴史を感じます

すぐ、山手の石段の先に思いがけず、「こんぴらさん」



右の車道に入り、遠ざかる五郷越(左奥の鞍部)方面を振り返り見つつ、どんどん高度を上げる

車道歩き30分で、三角点石砂(588.93m)から東に延びる長い稜線に出て

突き当り(右写真)のピークへ向かう



鳥居の先には祠が五つ祀られ、それぞれ向きが違います

この辺りは「五郷」と呼ばれ、井関、内野々、田野々、有木落合、海老済石砂の五集落があるので

それぞれの集落の龍神さんが祀られているのかもしれません

北側直下には、木々の間に豊稔池が光っている

おそらく田野々からの道もあったのでしょう



林道に戻り、西へ

紅葉に包まれた尾根道を少し登ると駒管山(三等三角点464・59m)



駒管山すぐ西の電波塔があるピークで一休み

五郷越方面(左写真)と雲辺寺山方面を見る 視界はすっきりしません



林道を歩いて五郷越

800年以上前、安徳天皇一行が阿波から山伝いに伊予の切山に潜入した際通過した峠だそうです

縦走路を少し先に進んだ展望場から、石砂集落と駒管山など見る



先週は五郷越から西の切山方面だったが、今日は東へ向かう

石砂集落向け、よく整備された道を下ります

途中、裏白(うらじろ)を採りに来られたという方と言葉を交わす

暖かくて年末という気がしませんが、正月も近いんですね



車道を横切りながら石砂集落に下りて来て、観音堂横の駐車地点着

2時間ちょっとの、五郷越散策でした

続いて海老済、有木集落へ



県道8号と石砂集落の分かれに舟形地蔵道標 「左 あハ道 右 いよ道」

棒賀神社から、海老済集落、三国境の山・海老済(奥の右)、曼陀峠方面を見る



道端に佇む石祠、龍神さんでしょうか?

右写真「馬頭観音像?」「三界萬霊」の石柱二基は、天保二年建立



五郷ダム湖は工事のため水が抜かれていて、湖底に沈んでいた道路が見えています

五郷ダム湖に架かる有盛橋を渡り、有木集落へ

有盛は、清盛の嫡男である重盛の四男 

壇ノ浦の戦いで、兄資盛らとともに勇敢に戦い、海中に身を投じたと伝わる(享年22歳)が

もしかしたら屋島から五郷有木に落ち延び、この地で生涯を終えたのかもしれません



有木橋手前に車を停め集落へ いきなり急坂を登る

三方山に囲まれ、秘境あるいは桃源郷の雰囲気が漂っています



集落の最奥部に、阿弥陀堂

平有盛が奉祀したと伝わる木像阿弥陀如来坐像が祀られています

阿弥陀堂の右奥に見える鳥居を潜り石段を上っていくと、三部神社

寄進者の名前は、平野、平岩等々、みな平何某と平家所縁の苗字です



県道8号と雲辺寺ロープウェイ方面の分かれ地点に「こんぴらさん」

竜王社(?)があったピークを北側から見てみようと豊稔ダムへ

堰堤に祀られる豊稔池の守護神・天之水分神を見て、五郷散策(一部ですが)を終える


五郷と言えば、五郷峡温泉くらいしか知らなかったけど

尋ねてみたら、狭いエリアながら奥深さを感じさせる山里でした

次は、五郷と阿波を繋ぐ曼陀越の道も歩いてみたいな


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