2022年02月11日 ”犬返し・鹿森社宅跡”


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る


先週に続いて、別子銅山全盛期に賑わいをみせた鹿森社宅跡へ

65年前、叔母につれられ訪ねた記憶を掘り起こしながら歩いてきました

最近、運動不足気味なので、ちょっと距離を伸ばし

犬返しから社宅跡を俯瞰し、マイントピアに下り、社宅跡へと登り返します


P(7:50)(8:01)煙突山(8:10)(8:38)生子山(9:32)犬返し(9:51)(10:07)△種子川山
(11:05)龍河神社(11:10)県道(11:22)マイントピア別子(11:37)(12:23)竹屋敷(12:32)
(13:07)大永集落跡鉄塔NO.94(13:23)(13:45)端出場坑道(14:50)P      (7時間)
 


県道脇の「別子ハイツ自然学習館」に車を停め歩き始める

10分で分岐(左写真) 先ず、右の煙突山へ

子どもの頃の遊び場と言えば、此処でした



強い視線を感じ振り返ったら、なんと猿! 猿に見送られて、犬返しへ

生子山城跡 毛利勢に攻められ落城した松木氏の本丸があったそうです

 

城跡の後ろのピークに、四等三角点(点名・板ノ下 300.42m)

一旦下山予定の龍河神社、長い稜線の先の尖がり・辻ヶ峰 最奥にチチ山、笹ヶ峰を見る



稜線奥のピークに建つ鉄塔の向こうが犬返し まだ先は長い

岩っぽい急坂を登り、生子山を振り返る



3本目の鉄塔場から見る、市街地

写真では分かり難いですが、煙突や角野小学校も見えている

4本目の鉄塔を潜り種子川林道への道を分けると、前方が開け犬返し到着です



不帰ノ嶮と見紛う黒森山、沓掛山のキレツト そして吊尾根の先に光る雪嶺はチチ山、笹ヶ峰

新居浜で一番好きな景色と言えば、アルプスを思わせるこの山並みです



真下に「マイントピア別子」

背後の辻ヶ峰山裾の森の中に、鹿森社宅跡が眠っています



ロープを頼りに急斜面を下りてゆき、登り返したピークから犬返しを振り返り見る



この岩壁が最後のロープ場、足元を確認しながら下りる

三等三角点 種子川山 538.85m



東奥に、下兜山の頭が見える

鉄塔手前で右に下り、灌木を掻き分け林道ヘアピンコーナーに出る



龍河神社方向へと、急斜面に付けられた薄い道に入る

猪の掘り返した跡や、倒木などで荒れた道を進むと



古道に出るが、石ころだらけで歩き難い

鉄塔の建つ四差路(右写真 右から下りて来た)を、左へ



龍河神社(りゅうかわじんじゃ) 文化年間建立の常夜燈に迎えられ、裏からお邪魔します

長い石段を下り、県道に出て、マイントピア別子へ



陽だまりに腰掛け、冬ザクラを見ながらサンドウィッチ休憩後

トンネルを潜り、ロストワールドの世界に入ってゆく



この先に「街」があったとは想像しにくいほどの、閑かな森の中を進む

人々の声が消えて、52年 広場に建つ石碑が、後世に「鹿森」を伝えます



銅板で作られた空中都市「鹿森社宅」のレリーフ

子どもの頃訪ねたのは、どの辺りだったんでしょう?

シンボリックな東平(とうなる)エリアだけじゃなく、別子銅山は「マチュピチュ」だらけです



鹿森の休日(昭和33年) どことなく見覚えのある写真です

石垣の上に建つ家から下を覗いて、子ども心に怖い思いをしたことは覚えているんですが

石段だらけの道でしんどかったという記憶はありません

子どもたちに交じって縄跳びをしているのは、先生かな?

(ちょっと堅苦しい表現ですが)この子どもたちが、日本の高度経済成長を支えてきたんですねぇ



苔生す石の階段を上がる

整然と積まれた一つ一つの石に、築いた人々の汗と思いが詰まっています

アートともいえる石垣は、コンクリートには無いノスタルジアを感じさせる日本の原風景です



メインストリートから左奥へ、城壁かと思う見事な石垣を見ながら進むと

二本の門柱が残る学校跡 此処は、大正6年に開校された分教場で

東平小学校鹿森分教場、角野小学校分校を経て、昭和45年に閉校となっている

門柱の奥が校舎で、手前が運動場だったのかな?



煉瓦造りの竈が並ぶ、共同の炊事場のようです

竹屋敷の分岐(右写真) 少し右先の地蔵堂を見て引き返し、左、土の峠方向へ進む



この後、鉄塔NO.94が建つ向かいの尾根を下る予定です



犬返しを見ながら、コーヒータイム  風も無く、雪も無く、ポカポカと暖かい


 
小さな滝が見えて来て、谷を渡る 水量が少ないので問題ありません

雰囲気の良い水平道が続く



滑に架かる石橋の跡 土石で道は消えているけど、靴を濡らすことも無く渡れました

大永集落跡(土ノ峠) 先週、グランパは右へ

今日は、神社と中萩小学校大永分教場跡を見て左に下りてゆく

 

直ぐに鉄塔NO.94 マイントピアまで、もう30分もあれば下りられるでしょう

急ぐことも無いので、丁度良い切り株に腰を下ろし大休止とします

奥に懐かしい一の森、二の森、三の森が見える

 

道標に従い、マイントピア方向へ  鉄塔NO.94を潜り、保線路を下ってゆく

植林の中をジグザグ下り20分ほどで、「端出場坑道(出口)」横に下り立ち、赤い猿飛橋を渡る



坑口橋を渡って観光坑道へ向かう観光客を見ながら、鉱山鉄道「打除(うちよけ)駅」へ

駅内は有料でしたが、気持ち良く改札を通してくれました

大正4年(1915年)に開通した4600m、別子銅山の大動脈・「第四通洞」



旧端出場水力発電所を遠目に見て、マイントピア別子を後にする

端出場大橋から、歩いた尾根を眺めながら車道歩き40分で駐車地点に帰ってきた


故郷の山の景色を楽しみ、そして苔生した石段を踏みしめつつ聴いた大正、昭和の跫音

自然に還りつつある社宅跡に立ち「昭和は遠くなりにけり」の思いを強くしました


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