今年は春の兆しが表れる飛躍の年、癸卯(みずのと・う)です
卯の字がつく山名は、あまり見かけませんが
西条市に、兎(うさぎ)の字が使われた地域と三角点がありました
石鎚山の登山口・西之川への途中、何度となく車を停めて写真を撮った兎之山集落
本来北へと流れる加茂川が、此処で大きく蛇行し南へ流れながら集落を囲みます
10時55分 県道の路肩に車を停めて保線路に入ってゆく
直ぐの分岐は、右へ
保線路なので概ね歩き易いが、急斜面に付けられている道は雨で傷みやすい
山側にしっかりエッジを利かせながら、慎重に歩く箇所も在る
樹間に兎之山集落が見える
尾根に乗ったところに、「借受使用 地標識」と書かれた住友共同電力株式会社の標柱が建つ
標柱からひと登りで、四等三角点 兎之山 (157.74m)
保線路を南へ進むと道が切れ落ち、垂直の梯子がかかる
南の展望 目の前の尖がりが、179mピーク
右奥に、くろもじさんのお山「風の森」が見える
東の展望 奥は櫛ヶ峰かな?
展望を楽しみながらお茶休憩をして、引き返す
左の保線路から登って来たが、尾根を直進する
尾根を少し進んだ所に建つ石柱は、境界石のようです
尾根の両側は、結構急峻 足を滑らせたら100m下の加茂川へドボンとなりそうです
途中の岩っぽい箇所に、小広くなった所が在ります
若しかして、権現さんが祀られとったかもしれんと、辺りの岩場を捜してみましたが・・・
そう、簡単には出会えません
木の間に、薄っすらと寒風山が見える
50m程真下に加茂川が見えるこの辺り(右写真)、東側は急崖です
鉄塔から10分弱で県道に出て、12時前、駐車地点に帰りました
1時間ほどでしたが、面白かった〜
さぁ、続いて兎之山集落を散策しましょう
車で移動しながら、兎之山集落を見る
右に見える鉄塔左が、129mピーク
兎之山バス停近くに車を停め、集落に下りてゆく
逆様川(加茂川)に架かる兎之山橋が、兎之山集落の入り口です
北西から南東へ、山に向かって流れる逆様川 何とも不思議な光景です
今治藩医で国学者としても有名な半井梧菴が著した「愛媛面影」に拠れば
「西条平野に出る手前の兎之山付近では川が大きく蛇行し、川の水が山に上がっていくように流れる現象から
『逆様川』と名付けられ、江戸時代は西条地方の名所旧跡として知られていた」そうです
かつて逆様川を一望できたという集落内の山は木が茂り、その流れを見ることは出来ませんが
ドローンであれば、大蛇行する逆様川の全容が見られるかもしれませんねぇ
集落内を東へ進むと、水月観音堂 栄泉寺が鎮座する
この近くに「石鎚の投げ石」と地蔵尊が祀られてる筈なんだけど・・・分かりませんでした
(「石鎚の投げ石」の伝説) 石鎚の神は修行が成就した暁に伊曽乃の神と結婚すると約束し、
山頂から3つの大石を投げるから、その真ん中の石の場所に館を建てて待つようにと約束して山に入られた。
投げた大石は、表参道一の鳥居付近、現在の伊曽乃神社が建つ所、兎之山の三ヶ所に落ちたそうです
気温は低いけど、日当たりの良い畑に咲く蝋梅の香りが辺りに漂い、心がほんわか〜♪
文政八酉年(1825)奉燈の常夜灯に迎えられ、鳥居を潜ると
イザナギのミコト、イザナミのミコト、クニノトコタチのミコト(国常立尊)が祀られる、松岡神社が鎮座する
天正十二年(1584)九月に、土佐より勧請し奉斎したという歴史ある神社です
神社を後にして東へ進むと、尾根に保線路がある(左写真振り返る)
保線路に入って、数分で129mピーク
建物跡が在ったような雰囲気の成地は、木々に覆われています
そのまま保線路を南に進むと、「前神寺林」と刻まれた石柱が倒れている
集落に下りてゆく道が右に分かれているが、もう少し先へ行ってみると
62番鉄塔 少しの藪を掻き分けて鉄塔上のピークに出ると、石碑が在る
「秀祐禅定門 宝永二乙酉年(1705) 十月十九日」と刻まれているので墓石の様です
尚も南に尾根を登ってゆくと、ピークに出る
何も見えんし、おまけに雪が舞い出して寒い! 「もう、引き返そうや」
真下に逆様川が見えてます
尾根から分れ集落へ下りてゆくと、雪混じりの風が吹いている
周囲から山々が迫り、甲子園球場のセンターからホームへと歩いてゆく感じです
兎之山小学校跡 (現在、兎ノ山集会所)
明治11年、松岡学校開校、昭和31年西条市立兎之山小学校、昭和45年閉校となる
1時間半ほどの散策を終え、逆様川を渡り兎之山集落を後にする
アレ? どっちへ流れているのかな?
卯年の干支歩きなのに、脱兎のごとくとはいかず、のんびり歩きではありましたが
以前から、気になっていた兎之山を尋ねることが出来て、楽しい時間でした
歩いた道 ホーム