2023年09月24日 ”成ヶ島”

「紀淡海峡を守れ!」

京阪神地方を防備するため、紀淡海峡に由良要塞を築く

明治22年に生石山砲台に着工し、成山砲台、友ヶ島地区、深山地区と工事を進める中

由良要塞重砲兵連隊(4個大隊12中隊)が編成され、由良要塞司令部も開設

日露戦争を経て、明治39年に、全ての砲台と施設が完成した

海防に重要な役割を果たした、成ヶ島(なるがしま)や生石山(おいしやま)は

今、瀬戸内海国立公園として整備されています



洲本市由良支所に車を停めさせていただき、成ヶ島渡船へ

乗船券を購めると、直ぐに船を出してくれました

船に乗り僅か数分で桟橋に着岸、成ヶ島に初上陸です



船は1時間に一本かと思ってたら、「何時でも迎えに来るから、電話して」と引き返していった

昭和61年に国民宿舎が廃業して以降、成ヶ島(なるがしま)は無人島となったが

由良中学校・PTAでは、地域や行政機関とともに清掃活動「成ヶ島クリーン作戦」を行い

また環境省が遊歩道、案内標識等を設置し、貴重な海岸動植物を守っています



成山と高崎を砂州で結ぶ成ヶ島は、大阪湾の入口に位置する小さな島で

約3qの砂州が美しい自然海岸をつくり「淡路橋立」と呼ばれている

先ずは、成山に登って砂州を眺めて見ましょう



船着場すぐ左の毘沙門天堂の裏から、広い石段道に取り付く

潮騒の音を聴きながら、木漏れ日差す遊歩道をジグザグ上がる



最後の石段を上がれば、成山(52m)に飛び出す

成山山上広場に遺る砲台跡 目の前は紀淡海峡です

幕末、ペリー来航(1853年)後、幕府は大阪湾防衛のためフランス式砲台を設置

以降、第二次大戦が終わるまで由良は軍事要塞の町となりました



砲台跡に腰掛け「淡路橋立」と呼ばれる美しい砂州を飽かず眺める



東屋が建つ山頂広場を後にして、北へ進む

何やら祠が祀られています



玉垣が取り囲む境内に建つ社は、島の鎮守様が祀られていたのでしょうか?

ドンドン進んでゆくと右側は海へと切れ落ちているが、しっかりした道が続く

山側に掘削した後が幾つも在り、煉瓦壁が残る 兵舎が在ったのかもしれません

成山をグルっと一周して、船着場に帰ってきました



芝生広場で大休止後、標識に従って「ハマボウ林→」へ向かう

遊歩道を逸れ砂浜に出てみると、目の前は波穏やかな由良湾

そして、湾を取り囲む由良の街並みが何とも長閑です



貴重な動植物が生息しているという塩沼湿地(えんしょうしっち)

 

潮が引いて、海中から砂州が現れています

直ぐ其処に見える由良の町まで、泳いで渡れそうです



高崎灯台へと続く、防波堤 この辺りが切戸でしょう

高崎灯台まで行ってみたいけど

案内板に「これより先立入をご遠慮ください」と書かれていたので引き返す



大阪湾の緩やかな流れに乗り、漂着したゴミの山

成ヶ島の豊かな自然を守るため、地元の人々によって清掃活動がなされていますが

ゴミの量はなかなか減らないそうです

アカウミガメが産卵のため上陸するという、 海峡側の海岸を歩く

 打ち寄せる波が、由良湾内とは大違いです



紀淡海峡を渡れば、和歌山市 



由良湾内の潟干潟には、たくさんの海岸動物が居るとか

砂浜でカニさんが遊んでいないかなと、探しながら歩く

ハマボウ、ハママツナ等の貴重な海浜・海岸植物が生息する塩沼湿地



成ヶ島を後にし、生石(おいし)地区へ





波切不動尊が祀られている生石公園に立ち寄り

車で生石山へ上がってゆく



車道沿いの「第四砲台跡」を過ぎると、直ぐ第一駐車場

生石岬(おいしみさき)展望台から、紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島(沖ノ島、上島、虎島、地ノ島の総称)を見る

此処は、江戸時代から重要な海域

紀州藩が、大阪湾出入りの船を監視するため、加太に島奉行を置き

友ヶ島には、藩士を常駐させていました

また明治21年、島一帯に由良要塞が築かれ

第2次大戦が終わるまで、一般人は立ち入ることは出来なかったそうです



展望台から、先ほど歩いた成山・淡路橋立を見る



第二駐車場に車を停め、遊歩道を歩く

 

海岸から上陸してきた敵から軍事施設を守るために築かれた「生石山堡塁跡」

15cm臼砲4門の砲座跡



木道(左側に第一砲台跡)を歩き、生石鼻燈台(昭和49年3月 初点)



天日鉾命が祀られた出石神社

垂仁天皇の御代、新羅の国の天日鉾王子が八つの神宝を携えて渡来した

後に、曽孫が出石の刀子の宝を携え淡路島に移り来て、島人が神として祀ったという

海沿いに育つ常緑樹林、ホルトノキ 背高のっぽの木です



生石海峡展望台から、要塞の島、友ヶ島を見る

第三砲台跡を見て、引き返す



第一砲台跡近くの要塞跡


国立公園として公開されている砲台跡等を見ながら

長い歳月、軍事要塞として閉鎖されてきた町の歴史に思いを馳せました


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