今日は、高知県土佐町の「信仰の道・三宝山道」を辿り、三宝山高峰神社へ
古来より、「森の三宝山」として広く近在住民の信仰を集め
参拝する者が多かった(土佐町史より)そうですので
古道も少しは残っているかもしれませんが、丁石を探しながら車で巡ります
(参考文献 土佐町史、土佐町から発信するウェブマガジン「とさちょうものがたり 高峯神社への道」)
土佐町地蔵寺相生、相生橋バス停傍に在る石碑 「三宝山道」(地図の@)
「従是 左 石原通二里八丁 右 平石通一里三十丁」(文政十三年寅六月吉日建立)
三宝山高峰神社への道標です
「左 石原通」へ車を走らせ、石原トンネル手前で旧国道に入り小広い路肩に車を停める
西石原集落手前の三宝山地福寺 本堂が
見事な紅葉に包まれています
明治初期に起こった神仏分離、廃仏毀釈により
三宝山高峰神社と分かれて、この地に移転されたらしいです
本堂左に三宝大権現の扁額がかかる鳥居が在り、
ロープが設置された急な石段が続く
八十八段の石段を上り詰めれば、三宝大権現が祀られている地福寺奥之院だと思い
登山靴も履かず軽い気持ちで来たのに、この急坂は何よ!
木の根を掴み、枯れ枝や落ち葉がのった斜面を這い上がる
完全に登山です
手水鉢の向こうに、三宝山地福寺奥之院、三宝大権現(地図のA)
参拝してから、転げ落ちないよう慎重に下る
丁度、お勤めに上がってこられた地福寺の方にお話を伺い、紅葉に見送られ寺を後にする
50分ほどの歩きでしたが、案外疲れました
産直「やまさとの市」前から、三宝大権現が祀られたピーク(右、標高560m位)を見る
西石原の籠神社横の空地(石原小学校跡)に車を停める
石原郵便局近くの三差路から、路地に入ると
(地図のB)「右 三宝山道」道標 (文政十一年子建立 里程は読み取れない)
くびれた箇所に、右を指し示す指の跡がある
(地図のC)「従是三宝山へ四十丁 相川谷中」
羊歯に隠れていて、見つけるのに難儀しました
薬師如来と地蔵菩薩が祭られている峯石原の薬師堂
樹齢750年と言われる、乳イチョウが黄色い絨毯を敷いています
周辺にはフクジュソウ群生地があり、春には賑わうそうです
直ぐ先で県道6号と出合い、右折(黒丸→)
県道から、走ってきた町道と薬師堂を見る
右奥が、三宝山高峰神社が鎮座するピークだと思います
なお県道を上ってゆくと、陣ヶ森(左)への分岐
工石山と三辻山
陣ヶ森分岐の法面にもたれかかる石柱 「従是 三宝山へ」(地図のD)
(途中から折れていますが、多分三十丁石だと思います)
(地図のE)「従是三宝山へ二十丁」
一段高いところに、(地図のF)「従是三宝山へ十丁」
藪の中を覗くと、古道が奥に続いているように見える
ここまで、車道沿いに丁石があったけど
古道に重ねて車道を造ったのか、丁石を車道沿いに移動させたのか
どっちでしょう?
車道谷側を覗くと、明瞭な山道がある 平石からの古道かな?
県道と分かれ、「←高峰神社」へ
最終民家を過ぎ、振り返る
五丁石は、この辺りかなと思いながら走っていると
電柱のところから、右へ延びている道が見えた
車を停め、古道らしきを進むと在りました!
(地図のG)「御神前ヨリ五丁」の石柱(天保六未十一月吉日建立)と、奥に常夜灯
直ぐ先のヘアピンを過ぎ、数台停められている三差路に駐車し、神社へ向かう
P
(11:00)〜(11:26)高峰神社本殿
(11:31)〜(11:46)P (約45分)
三宝山高峰神社
12月3日(日曜日)が神社の祭日だそうで、幟が旗めいている
掃除を終えた氏子さんたちが、集会所で寛がれていた
土佐町史に由来が載る「手洗石」、その向かいの広場には奉納相撲をしたという土俵がある
傳永遠(でんえいえん)の石碑に拠れば、
「当山鎮座峰神社は、古来農作の守護神にして藩主の 信篤く、
明治十年三月偶本山東麓石原川畔に好適の手洗石を発見し、
これが曳き揚げ奉納の計画をたてたり。
しかるに現位置までは羊腸たる坂路三十町余りにして、
しかも数千貫の巨石をただ人力のみに頼りて曳き揚ぐるは容易の業にあらざりしが、
これの壮挙を伝え聞
きたる遠近の崇敬者等相集まり、毎春農閑の季に熱誠曳石作業を奉仕し、
わずかに五ヶ年にしてついに山の九合目までは運び揚げたるも、
明治十五年にいたり諸
種の故障ありてこの事業を中止せり。
しかり春風秋雨五十余年いたずらにその巨体を路傍に曝すのみにして、
まことに大神に対し奉り恐懼に堪えざりき。
ここにおいて昭和三年村長西村繁太郎、崇敬
者と相謀り、
御大典記念事業として奉献曳石完成同盟会を組織し篤志家の献金と崇敬家の協力とを得て、
昭和三年十一月曳揚を終わりこの所をよき所と選び定
め、据付工事を竣工し、多年の念願を成就したり。
県内外各地に多数の崇敬者を有する格別由緒深き古社なり。
よってその経緯を録し、永く記念せんがため石に刻してこれを建つと伝えんや。
昭和十一年十一月」
鳥居を潜り、結構急な石段を上がってゆく
石段を登り切ると、鳥居の先にまだ参道が続いている
鳥居の傍らで、睨みを利かせている鷹の石塔
当時、スズメの被害に遭って困っていた相川集落の人たちが
農耕の神様が祀られている高峰神社に祈願すると
鷹が 稲をつつくスズメを追い払ってくれたので豊作となり、そのお礼に奉納したそうです
米どころで有名な相川の棚田米、美味しいですねぇ
苔むす道に木漏れ日が差し込む雰囲気の良いところで
掃除に来られていたご年配の方にお会いし、神社の事をいろいろ伺いました
この辺りに茶店が在って、参拝者の接待をしたそうです
鳥居を潜って石段を上ると
お聞きした通り、急な石段手前に四つ目の鳥居が在り、その上に社殿が見えてきた
(地図のH)三宝山高峰神社
「土佐國本宮 峯神社 三寶山鎮座」の扁額がかかる拝殿は
立派な権現造りで、唐破風の屋根が見事です
御祭神は山の神である大山祇神、食物の神である豊受大御神、竈の神が祭られている
社殿裏に回ると、注連縄が張られた大ヒノキ
参道沿いに御神木のような大杉や大ヒノキがたくさん在ったけど、これも御神木の一つかもしれません
奥深い山中に鎮座する荘厳な神社の歴史に思いを馳せながら、参道を引き返す
天気も良いし、久し振りに陣ヶ森にもお邪魔して来ようと林道を走る
ワァオ、霊峰石鎚!
深く掘れ込んだ泥濘を前に躊躇し、結局、Uターンしました
(昨日、洗車してもらったばかりなのよ)
工石山や三辻山、つつじが森の稜線を見ながら
「やまさとの市」で買った、赤飯や山菜おこわをいただきました 美味しかった〜
(地図の@)地蔵寺相生の「三宝山道」石碑まで帰り
相生橋を右に見て直進、地蔵寺集落の毘沙門堂に車を停める
奥から「日本一の大公孫樹(いちょう)」が呼んでいます
国定保護文化財天然記念物に指定されている「平石の乳イチョウ」は、樹齢約900年
元暦2年(1185)、平家の落人が建てた平石寺跡に根を張る乳イチョウは
幹に空洞が目立ち、つっかえ棒に支えられてはいるものの
三宝山を見つめる姿は、堂々としている
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