2023年12月29日  ”讃岐のまほろば”


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る



坂出市府中町や、高松市国分寺町界隈は

律令時代、国府や国分寺、国分尼寺が置かれた讃岐国の中枢でした

「大和が国のまほろば」なら

地形的にも大和によく似たこの地域は、「讃岐のまほろば」です

今日は、まず国府跡、国分寺を尋ね、

その後、五色台南麓の三山からまほろばの里を眺めてみます



坂出市府中町 江戸時代、国府跡付近は阿野郡府中村といわれていた

「府中」は、国府があったことを示す地名です

香川県埋蔵文化財調査センター付近に車を停め

綾川沿いを歩き、讃岐国府跡へ向かう



三方を山で囲まれた、讃岐国府跡



国府跡にある説明板

付近には、讃岐国庁を偲ばせる地名や、名国司であったという菅原道真の事跡

そして、保元の乱で配流となった悲哀の天皇、崇徳上皇の遺跡が遺る



国府印鑰明神遺跡

この地が、上の説明板に載る「印鑰(いんやく 国庁の印鑑・鍵の保管所)」が在ったところ



白鼓山開法寺



 雲井の仮御所に住まわれていた崇徳上皇の身の回りの世話をしていた

綾高遠の息女、綾の局が産んだ男子(顕末と命名)の墓、「菊塚」



府中鼓ヶ岡木ノ丸殿に住まわれていた崇徳上皇の飲用に供された「内裏泉」

直ぐ近くに、行在所木ノ丸殿を偲び七百五十年大祭(大正2年)の折に造られた擬古堂と

崇徳上皇を祀る鼓岡神社が在る



白鳳時代の古代寺院、開法寺塔跡



香川県指定史跡「開法寺塔跡」の説明板


車で高松市国分寺町へ移動



国指定特別史跡 讃岐國分寺跡 (四国霊場第八十番札所 白牛山千手院國分寺)

天平13年(741)、聖武天皇の国分寺造営の勅願をうけ行基菩薩により開基



御本尊十一面千手観世音菩薩が祀られている本堂は、鎌倉時代中期の建造物

境内には往時の金堂、 七重塔礎石が残っており、四国唯一の特別史跡として保存・整備されている



讃岐國分寺跡に整備された史跡公園に、当時の建物を10分の1の縮尺で復元

広大な公園内には、 築地塀跡、鐘楼跡、僧房跡、掘立柱建物跡など多くの建物跡等が遺る


国分八幡宮へ車で移動

国分八幡宮P(10:35)〜(10:54)大禿山(11:09)〜(11:42)城山登山口〜(12:04)城山(12:21)
(13:03)
国分尼寺(13:31)端岡山(13:42)(13:56)如意輪寺公園(14:10)(14:20)国分八幡宮
                                         (3時間45分)



新年を迎える準備が整った、国分八幡宮

天平勝宝年間の創祀

武の神、勝利の神として、古来より武人に崇敬されてきたそうです



本殿裏のパワースポット、磐座



鳥居が、大禿山登山口

傍らに、「水分社御祭神 天水分國水分大神 大神大物主櫛甕玉神」の石柱が建つ 



大禿山 (四等三角点 国分 176.33m)

風も無く日差しが暖かい カッパドキアを眺めながら、暫しのんびり



頂上から7分、車道に下り立ち大禿山登山口を振り返る



車道から少し入ったところに、西川西遺跡の積石古墳

古墳時代後期のものと思われる



積石古墳の上方、石段を登っていった先に西川西遺蹟の磐座地神様

巨岩の天辺に、天照皇大神、少彦名命、水波女神等々、を刻んだ六角柱の地神塔が載る



盆栽出荷場を過ぎたところで、分岐を左に進むと城山登山口



掘割道を越え、 ミズナラの落ち葉に覆われた急斜面をストレートに登る

頂上手前でテープを見失ったけど、とにかく上へ

木々を掴みながら直登します



讃岐のまほろば〜♪

野焼きの煙が漂っているのか?、それとも気温が高くて舫っているのか?

すっきりとした景色ではありませんが

垣根のように 幾重にも重なりあった山々に囲まれた理想郷です



堂山、おむすび三兄弟、火ノ山、十瓶山

視界が良ければ阿讃山脈や遠く剣山系まで見えると思います



祠が祀られた城山(215m)

山名からして山城(砦)が在ったかと思われますが、登城するのは大変です



車道を隔て、 城山登山口の下に盆栽神社

イザナギ、イザナミの御子である、久久能智神、草野姫神の二神をお祀りしている



溜池下の畑に祀られた祠が、良い雰囲気です

田の神様? それとも水神様かな?



史跡 讃岐国分尼寺跡

奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇の勅願によって建立された「法華滅罪之寺」

創建当時には、水田10町が与えられ、10人の尼僧がおかれていた



史蹟 讃岐國分尼寺跡の石碑

平安時代の仁和2年(888年)、国司菅原道真が国分尼寺を訪れ

「法華寺白牡丹」の漢詩を詠んだそうです



境内には、金堂跡と考えられる20個の大きな礎石、講堂跡、尼房跡と考えられる礎石建物跡や

当時「七泉」と呼ばれていた井戸のひとつ「大泉」が今も残っている



国分尼寺跡から南進し

たくさんの遍路道標が並ぶ国分寺北部コミュニティーセンターの四差路を右折する

数分で、車道右側に端岡山登山口(標識は無し)

細い坂道を登ってゆくと落葉道となり、ほどなく端岡山(橋岡山古墳跡)



地神宮や祠が祀られた端岡山 (四等三角点 橋岡山 83.26m)



地神宮背後の尾根を北西へ

途中で車道を横切るが、尾根通しに進む



十月桜に迎えられて、如意輪寺公園

日溜りが気持ち良い



出土した軒瓦から平安時代末頃の創建と思われる、如意輪寺跡

歴史ある讃岐國分寺、鷲峰寺(じゅうぶじ)とともに

地域を代表する寺院であったが、本堂は取り壊されている

境内跡で、町指定文化財「如意輪寺のヤブツバキ(ヒゴツバキ)」が蕾をいっぱい付けている



年末とも思えぬ陽気の中、三山を巡り国分八幡宮に帰ってきた

さぁ、年が明けたら「阿波のまほろば」と「伊予のまほろば」を探しに行こう



後日(2024.03.24)、坂出市林田町の総社神社を尋ねました


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