「伊予のまほろば」って、何処でしょう?
伊豫国府のことをいろいろ調べてみたら
承平4年(934)頃、源順が編纂したわが国最古の百科事典、和名抄に
「国府越智郡在」と記載されている
古くから海上交通や交易の要衝だった今治は
多くの古墳や遺蹟、古代の製鉄炉跡などが見られることから
大和政権時代に重要な地域で、国府が在ったと考えられている
今日は、伊豫國分尼寺塔跡や伊豫國分寺塔跡が遺る、今治市桜井と国分地区を尋ねます
(国府跡は、国分の少し北、上徳の富田小学校周辺が有力な推定地だそうです)
JR予讃線 伊予桜井駅から、伊豫國分尼寺塔址を見る
線路の先、右に見える山は唐子山です
天平13年(741)聖武天皇勅願により建立された、伊豫國分尼寺塔址
周りを畑に囲まれた小高い丘に、6個の礎石が遺る
国分尼寺は、法華滅罪之寺といい、尼僧10人を置き、妙法蓮華経を奉じ
民の憂苦疫病、飢餓を救い、国家の鎮護と平和を祈ったといわれている
唐子山山麓に在る古刹、四国霊場第五十九番札所国分寺
ご本尊は行基が刻んだという薬師如来です
平安初期に弘法大師が巡錫し、滞在中に五大尊の絵像を一幅遺している
隆盛を誇った巨刹も、天慶2年(939)に藤原純友の乱で焼失したのを始め
源平合戦や、長宗我部氏の侵攻等で4度もの戦禍に遭い、一時は衰退した
現在の本堂は、寛政元年(1789)に復興された金堂である
国分寺から東へ100mほど行くと、伊豫國分寺塔址
13個の大きな花崗岩塔礎石が遺り、
付近から、創建当時の巴瓦や唐草瓦が出土している
此処に、人々の心の拠り所になる荘厳な七重塔が建っていたんですねぇ
史跡の説明板
唐子山へ登ってゆく
唐子山(三等三角点 唐子山 105.32m)は、素晴らしい展望が広がっています
伊予水軍能島城主であった村上武慶がこもった国分山城跡
山頂から南、伊豫國分尼寺塔址が在る伊予桜井駅方面を見る
赤石山系や法皇山系には雲がかかり、すっきりしない
山頂から西 正面に霊仙山、奥は東三方ヶ森など高縄山系の山々
今治市の桜井、国分地区は、長閑な風景が広がる「伊予のまほろば」です
北には、今治市街地と、波止浜、大島を結ぶ来島海峡大橋
唐子浜を見ながら、急な石段を下りてゆく
古国分山に祀られた、今治藩主久松氏の墓
藤堂高虎が伊勢に転封になった後、寛永12年(1635)今治藩主となった久松氏は
徳川氏一門であり、松山藩久松氏の分家です
畦道を歩き、国分寺に帰る
伊予府中八十八霊場第十四番、宮ヶ崎の圓久寺
霊園の横を上がってゆくと、霊仙山登山口
よく整備された登山道です
霊仙山頂上
三等三角点(宮ヶ崎 156.9m)は、刈られた萱に隠れていました
戦国時代、河野家十八家の一人中川親武が城主であった霊仙山城跡
その後、天正13年(1585)の秀吉四国征伐によって廃城となる
国分寺、唐子山、燧灘を見る
「まほろば」は、三方が山に囲まれた桃源郷というイメージですが
海が見える「まほろば」も、いいですね
新居浜の臨海部と、宇摩の名峰赤星山、豊受山、翠波峰が連なる法皇山系
帰路、周越農道から、霧氷が輝く伊予三山(石鎚山、瓶ヶ森、笹ヶ峰)を見る
四国が誇る1000万ドルの山並みです
国府(国庁)、国分寺、国分尼寺セットの「まほろばの風景」探し
里山巡りを兼ね、もう少し続けます
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