2024年01月13日  ”吉備のまほろば@・干支の山”




GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る


古代、吉備王国は、大和、筑紫、出雲と並ぶ四大王国の一つでしたが

大化元年(645)から大宝元年(701)にかけて行われた律令制により

備前、備中、備後、そして後に備前から分かれた美作の四つの令制国となりました

各国に国衙、國分寺、國分尼寺が置かれたので、「吉備のまほろば」は4ヵ所になります

今日は備前を尋ね、まほろばと干支の山三座を歩きます


国分寺八幡宮P(8:16)〜(8:25)登山口〜(9:25)龍王山(9:32)〜(10:32)大兜山
〜(10:47)兜岩(10:58)〜(11:17)荒神社〜(11:43)備前國分尼寺跡
(12:04)
両宮山古墳〜(12:28)備前國分寺跡〜(12:36)P (4時間20分)



家を出て、此処まで1時間15分

備前國分寺跡横の 国分寺八幡宮に車を停める

国分寺跡は下山後に散策することにし

馬屋(まや)集落を抜け、龍王山登山口を目指します



古代山陽道四駅の一つである「 高月駅」跡 (馬屋集落の掲示板のようです)

大宝令(702)に定められた日本の大路、山陽道は

京都から太宰府へと通じ、政治的、軍事的に重要な役割を果たしました

当時の駅「馬屋(まや)」は、交通手段である馬を提供したり、食事や宿泊もできる休憩所でした



赤磐八十八ヶ所霊場第七十九番札所から、「龍王山→」に従い入山



今日も獣除け柵の洗礼を受けます



途中の岩場から振り返る

中央右が、出発点の国分寺八幡宮の森



尾根を乗り越し、右斜面を緩やかにトラバース



谷に突き当たると、道が怪しくなってくる

テープがありますが、とにかく谷を詰めてゆく



尾根に出て左へ進み主稜線に乗ると、時折道標が在る



龍王山頂上 四等三角点(龍王山 312.28m)

木々に囲まれ、周りの眺望は無し

龍神さんが祀られた祠が無いかと周辺を探してみたけど・・・何もありません



尾根を南へ



頂上から15分で、広い道に出る

左へ行けば良かったのに、何故か右へ



分岐から5分で左に下る道がある

今までと比べたら薄い道ですが・・・此処を下りるの?



思ったよりドンドン下るし、目印の赤テープも無くなった

ちょっと不安になりながらも、転がるように下ってゆく



谷に下り、急斜面を喘ぎながら登り返すと、峠(山陽道馬屋トンネル真上付近)に出た

左から綺麗な道がある

先ほどの広い道を左へ進めば、すんなり来られたのに

しんどい思いをした20分間は、何だったんでしょう



峠を抜け、東へ下りる

5分ほどで峠道と分かれ、右尾根に入り大兜山へ



大兜山(218mp) 木がなければ、ちょっと恐いです



大兜山から、藪っぽい急尾根を下る

ウバメガシの葉っぱが積もり、滑って歩き難い



途中の岩場から、威風堂々とした兜岩を見る



鞍部に下り立つ  兜岩をピストンしてから左(馬屋→)へ下ります



岩場を登り、兜岩へ



目の前に、三頭の龍(竜)に護られたまほろばの里

見事なサイクロイド曲線を描く山陽道が、くねる巨竜に見えてきます



龍王山と、左奥に本宮高倉山(だと思います)



振り返ると大兜山、奥は龍ノ口山

あの山の南麓に備前国の国衙があったとか 気になるエリアです



恐々立ってみました



鞍部まで戻り、激坂を下る

兜岩では、数人がロッククライミングの練習中でした



獣除け柵を抜け



 荒神社左から下りて来ました(振り返る)



兜岩を振り返る

県道27号岡山吉井線を横切り、田畑が広がる長閑な景色の中を歩く



仁王堂池の土手から、兜岩を見る



仁王堂池付近が備前國分尼寺跡であると推定されています



備前國分寺跡は県道27号を横切れば直ぐですが

県道を東へ進み、国指定史跡の両宮山古墳へ

埋葬者は判っていませんが、岡山県内三番目の規模の前方後円墳です



周濠は、水が抜かれ工事中でした



東側から見学路を歩いて墳丘へ

慶應三年(1867)と刻まれた石燈籠や天保七年(1836)建立の石鳥居の奥に

伊勢神社とも呼ばれている両宮神社が祀られている



両宮山古墳後円部北側に位置する賠塚、和田茶臼山古墳





聖武天皇の命により好所に建立された、備前國分寺跡



東大寺式伽藍配置が見られる、伽藍配置復元図



鎌倉時代の作と推定される石造七重層塔と模擬礎石



本尊を安置する金堂

平安時代後期に再建されたが、鎌倉時代ごろに廃絶したそうです



講堂と模擬礎石

発掘調査では炉などの遺構のほか、羽口や鍛冶滓などの遺物が出土していることから

寺院の中に、金属製品の修理を行う工房も在ったと考えられている

他、南門、中門、回廊、僧坊を見て国分寺八幡宮に帰る


続いて、赤磐市中島の千光寺へ



1786(天明6)年建立の荘厳な仁王門を潜る



奈良時代(760年)、報恩大師によって創建された石井原山千光寺

ご本尊千手千眼観世音菩薩が祀られた本堂



優雅な姿の三重塔 

明和二年(1765)二月、邑久郡の名工、尾形庄助棟梁により建立と、棟札が遺る



三重塔裏の車道を奥へ

桜が岡清掃センター左を進み、山道に入ると直ぐ峠 右急斜面を上がる



風がうなる中、しっかりした尾根道を進むと、



峠から16分で、龍王山 二等三角点 中島(241,86m)

来た道を引き返し、駐車場に帰ってきた 50分ほどの散策でした


続いて、三座目の竜王山へ



JR山陽本線瀬戸駅裏から、激急な車道を上がると鉄砲山

三等三角点 下村(165.8m)



南の展望 岡山市東区瀬戸町を囲む山々

ここにも、まほろばの風景が広がっています



車道を東へ 車を停め適当に尾根に入る



10分で祠が祀られた竜王山(181m)

龍(竜)王山は全国に61あり、

「晴れの国」岡山には22、次が広島13、香川 5と続く

龍は水の神様 降水量が少ない瀬戸内地域に多いのも頷ける

まほろばを探しながらの 干支の山歩き、まだまだ続きます

次は、備中か備後かな〜?


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