2024年01月21日  ”らんまんの里”


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る


「牧野富太郎の聖地を歩くルートマップ」を片手に、佐川町を散策〜♪

「らんまんの里」は、ポカポカ陽気でした


観光駐車場(8:40)〜上町散策〜(9:11)西谷登り口〜(9:35)岡崎登り口
(10:14)
室原登り口〜(10:22)粕谷東西ルート分岐〜(10:42)鳥の巣登り口
(11:13)猿丸峠〜(11:48)ナウマンカルスト(12:10)〜(12:38)観光駐車場
牧野公園散策〜(13:45)
佐川城跡〜(14:10)駐車場    (5時間30分)
         


観光駐車場に車を停める



まっすぐ行けば牧野公園ですが、先ずは上町散策と右折する



牧野博士も通った名教館

安政元年(1772)佐川領主、深尾氏が家塾として創設し

この塾から多くの維新の志士や偉人を輩出した



牧野博士生家跡(岸屋)に建つ、牧野富太郎ふるさと館



引き戸を開ければ、万太郎と寿恵子が迎えてくれる



ふるさと館右奥から、金峰神社への石段を上がる

直進すれば「西谷登り口」です



スケッチ板が要所に在ります

後ろの電波塔左の尾根鞍部が峠です



苔むした石段に小さなバイカオウレンが咲いていて

心もウキウキ上がってゆくと、金峰神社

牧野博士が幼少の頃、境内に咲くバイカオウレンを見て植物への興味を広げた所です





まず、西谷集落から峠道(岡崎越え)を歩き岡崎へ

その後南下し「室原〜鳥の巣ルート」へと回ります



ロードを少し逸れたところに、土佐の名水「西谷の清水」

古くから書道、茶道用の水として愛され、飲まれていたそうです



最奥民家横から山道に入る

牧野少年が駆け巡った道です

ヘラシダやエダウチホングウシダのスケッチ板がありました



峠を越え、石畳の道を下る

岡崎集落を抜け、柳瀬川河畔で石のベンチに腰掛け一休み



室原横倉神社に参拝

享保四年(1719)十一月、越知の横倉権現を勧請して創建された



室原〜鳥の巣ルート(全長1100m)に従い、車道と分かれ細(畔)道に入る



8分で、不動明王が鎮座する粕谷入り口



粕谷周遊西ルートを進む

直ぐ上の分岐で東ルートを歩き、引き返して西ルートを行く



粕谷の湿地に咲くサギソウを、牧野博士がスケッチしています

野生のサギソウは絶滅したといわれ、今は見られませんが

復活を願い、「佐川さとやま遊友会」の方々が草を刈り環境を整備されているそうです



センダンの木と千手観音 左に行きます



東ルートと合流して、少し下ると鳥の巣登り口

満開のロウバイが香しい



火防の神様を祀る、愛宕神社



斗賀野地区 奥に蟠蛇森が見える



巨岩の天辺に祀られた「学問村の碑」 何でしょう?



国道494の猿丸峠を過ぎたところに「猿丸太夫伝説の墓→」

ちょっと寄り道してみます



坂道を100mくらい上がったところで車道から逸れ、木々が生い茂った斜面を駆け上がると

佐川町指定文化財「猿丸太夫伝説の墓」標柱があり、五輪塔が建つ

宝亀元年(770)、平安時代の三十六歌仙の一人である元従二位大納言弓削浄人(猿丸太夫)が

謀反の罪により土佐の地に流され、ここ猿丸山に居住したと伝わる



国道沿いの深尾神社から牧野公園へ行けるかも?と

佐川城跡の山を見上げながら歩いてゆくと、土居屋敷跡

屋敷跡横の道は 「この先行止り」と書かれているけど

徒歩なので大丈夫でしょうと下ってゆく

川を渡ると「ナウマンカルスト徒歩5分→」の標識がある



目の前に突然現れたナウマン象の親子にビックリ!



佐川は「地質のメッカ」です



小規模ながら、素晴らしいカルスト台地が広がる

時季には、可愛い花々が咲き乱れるのでしょう

羊の群れを思わせるたくさんの石灰岩を縫いながら、暫し開放的な気分に浸りました

佐川国老深尾家二代出羽重昌の側室で、才色兼備のおろく夫人の墓がある妙像寺や

JR佐川駅等々、あちらこちらを見ながら、駐車場まで帰り

続いて、牧野公園、佐川城跡に向かいます



佐川領主深尾家の菩提寺、龍淵山 青源寺

土佐三名園の一つである庭園(県指定名勝)は、創建時の江戸初期の築庭と言われている

慶長八年(1603)創建、享保十三年(1728)の大火で、建物は山門を残して悉く焼失するが

享保十六年(1741)に庫裡を、明和三年(1766)に本堂を、文化十二年(1815)に観音堂を再建して今に至る



バイカオウレン



一輪だけ咲いていたシコクフクジュソウ 花弁を食べたのは、誰かしら?



物見岩から「らんまんの里」・佐川の街並み、横倉山、黒森山を見る



佐川城址の説明板 

天正元年(1573)、長宗我部元親の重臣、久武内蔵助は古城山と呼ばれる此処に佐川城を築城

関ヶ原後、慶長六年(1601)に土佐領主となった山内家の筆頭家老、深尾重良に譲られ

深尾一万石の居城であったが、幕府の一国一城制により元和二年(1616)廃城となる



佐川城跡の南に、三等三角点 茶ノヱ松 200.73m



佐川町立青山文庫

幕末維新に活躍した佐川町出身の元宮内大臣田中光顕(みつあき 号は青山)の名を冠した博物館

青山が収集した維新関係資料、坂本龍馬・中岡慎太郎・武市瑞山らの書状や画などの遺墨や

土佐藩筆頭家老で 佐川領主、深尾家の歴史資料などを展示している


大寒とも思えぬ陽気の中、「らんまんの里」を満喫した後

まきのさんの道の駅・佐川で、ボリュームたっぷりのカツオのたたきをいただき

佐川の名産を抱えて帰りました

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