吉備のまほろばシリーズは、広島(福山市、府中市)へ
芦田川を見下ろす石槌山に登り、まほろばの里を眺めてから
備後の国府、総社神社、国分寺や国分尼寺を尋ねます
P
(8:18)〜(8:49)八反田
〜(9:00)上山守龍王社
(9:14)〜(9:24)石鎚神社
〜(9:30)△石槌山
(9:44)下山守石鎚神社
〜(10:25)石原トンネル北登山口
(10:35)〜(11:07)P (2時間50分)
芦田川沿いの県道396を走り、山守橋手前で左折すると松浦荒神社
神社に車を停め南へ進み、芦品広域農道を横切って中国自然歩道をゆく
谷沿いの道を30分ほど登ると、八反田集落の車道に出る
「石槌神社 1.4km→」の道標に従い、左へ
終盤の梅を見ながら車道を進む
10分で本道から逸れ、左へ入ると
大城坊山頂上に上山守龍王社(じおうさん)が祀られている
1年かけて復活整備されたそうです
芦田川を挟んで福山市駅家町の街並み
奥の尖山は、龍王社が祀られている蛇円山(?)
電波塔のある山が石槌山 左は、備後国分寺がある神辺町方面
南に、福山市街地
景色を眺めながらおやつ休憩した後、車道を進むと
電波塔手前のピークに、上山守石鎚神社が鎮座する
社殿には、石鎚蔵王大権現が祀られています
社殿前に、まほろばの風景が広がります
芦田川を遡ると、備後国府が置かれた府中市方面
(因みに広島県には、もう一つ府中があります
安芸の国府が置かれた安芸郡府中町です)
電波塔の横をすり抜け5分ほどで、四等三角点 石槌山 272.9m
「石鎚(槌)山」と名の付く三角点は貴重です
さらに東に進めば、車道終点に下山守石鎚神社
福山市界隈は、石鎚信仰の篤い地域です
石鎚のオーソリティー「旅する石鎚信仰者」さんが、
この石槌山周辺でも16ヵ所の石鎚神社を尋ねられています
JFEスチール製鉄所方面が見える
神社境内東角から急坂を下る 送電鉄塔手前を左に
ロープが設置された急坂が続く 登山靴を履いてればよかった
石原トンネル上の伐採地からの展望
階段を下り、鞍部から広い道を下る
車道に出てお茶休憩 短いけれど、結構歩きごたえのある道でした
下りて来た石原トンネル北登山口方向を振り返る
石槌山を見ながら、県道396を歩く
あと少しで駐車地点ですが
オシドリやジョウビタキに誘われ、芦田川河原で遊ぶ
潜り橋(沈下橋)を渡って、対岸へ
仁淀川や四万十川を思い起こさせる長閑な風景です
松浦荒神社に帰り、備後国のルーツを車で巡ります
府中市元町 備後国 總社神社
備後国府跡 (右奥の森が總社神社)
掘立柱跡や礎石跡は埋め戻されていて、見ることは出来ません
神辺町小山池の畔に「小山池廃寺」
「奈良時代になって国分尼寺として再利用されたと考えられる」そうです
小山池廃寺から500mほど東に、備後国分寺(僧寺)跡
南大門跡から続く長い松並木の最奥が、現国分寺です
古代山陽道に面した東西180mの広大な寺域に、
塔、金堂、講堂、南門を配置した雄大な伽藍跡が遺っている
帰路、岡山県小田郡矢掛町へ
趣あるやかげ郷土美術館には
山陽道の宿場町・矢掛のシンボル「水見やぐら」が建つ
大名行列とうなぎの寝床と呼ばれる短冊形の屋敷がひしめく町並みが、館内に展示され
江戸時代の宿場町の様子がうかがえる
「旧山陽道 矢掛宿」の説明板
「山陽道に沿って東西約800mにわたり、道を挟んで197軒の屋敷があり
江戸時代の旧姿を留める町並みが岡山県町並み保存地区に選定されている」
国指定重要文化財 矢掛本陣(石井家)
薩摩、筑後、筑前、肥前、唐津、萩、石見、安芸などの西国大名が宿泊するほか
長崎奉行や巡検使などの幕府役人が休息、宿泊をしたそうです
江戸時代初期から居を構え、中期には大庄屋をつとめるかたわら本陣を兼ね
元禄頃からは酒造j業を営んで繁栄したという
旧山陽道に面する間口は約20間(36m)、敷地面積が959坪と、矢掛では最も大きな町家です
本陣展示蔵(元は酒造場)には、参勤交代に使用した駕篭や殿様用の風呂桶なども展示されている
大名が使用した「上段の間」
篤姫が上洛の折、この部屋に泊ったという書付が残る
床の間には、江戸時代のお雛様が飾られていました
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