2024年02月24日  ”吉備のまほろばB・干支の山”


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る



まほろばの風景を求めて、今日も吉備の国へ

備前国分寺や備前国分尼寺が建立された赤磐地区に続いて、

総社宮や備前国庁が置かれた岡山市中区国府市場地区を尋ねます


JR備前原駅(9:20)(9:45)駐車場・登山口(9:53)(10:19)コル八幡宮コル(11:04
(11:18)
龍ノ口山(11:37)南展望広場(11:47)(12:13)駐車場(12:27)総社宮
(12:46)
安養寺(13:15)賞田廃寺跡(13:23)(13:49)備前国庁跡(14:30)JR高島駅
                      (5時間10分)
       


JR津山線 備前原駅で下車

まず、干支の山・龍ノ口山からまほろばの風景を眺めます

登山口の駐車場には多くの車が停まっている



森林公園として整備され、県下有数の人気の山だそうです



駐車場から5分ほどで「龍ノ口グリーンシャワーの森」入口です

ふれあい広場、ツバキ園を抜け、沢沿いを進む



龍之口八幡宮へ直接出る岩尾根道を登る予定でしたが、

谷道を登ってしまいました

(岩尾根道は、グリーンシャワーの森に入らず左でした 反省)

コルに出ると、立派な鳥居と常夜灯が建つ



龍之口八幡宮、龍之口山城跡



年代を感じさせる石段(七曲)を上がってゆく

学問、受験の神様として知られる龍之口八幡宮



本殿背後は、切り立った崖 「危」とロープが張られている

眼下には、嫋やかな山々に沿って流れる旭川

旭川に架かる中原橋の向こうに、JR備前原駅



絶壁に佇む社は・・・なんと、石鎚神社でした!



登ってくる予定だった岩尾根を少し下ってみる

山間を龍のように流れ下ってきた旭川 その出口に広がる岡山市街地

素晴らしい展望が広がっています



東には、備前国分寺跡や国分尼寺跡が在る「吉備のまほろば」

先日歩いた龍王山や大兜山、兜岩が見える



コルまで戻ってお茶休憩し、尾根を南に進み龍ノ口山へ向かう

東への道標は、珍しい地名「四御神(しのごせ)」 ちょっと読めません

龍ノ口山ケルンを過ぎると、山頂は直ぐです



山頂 (四等三角点 龍ノ口山 256.78m)

山頂から南、岡山市街地



南展望広場へ向かう途中、児島湾や小豆島方面を見る

岡山市中区湯迫(ゆば)に向けて、浄土寺の祠(毘沙門天)や五輪石が祀られている



グリーンシャワーを浴びながら、広くて快適な尾根道をゆく



南展望広場で、お昼休憩とします

国府市場付近に広がるまほろばの風景を眺めてみたかったけれど

木々の間に、東岡山付近が僅かに見えるだけです



賞田分岐 直進すれば、賞田廃寺跡に下りられますが

右折して 「龍ノ口グリーンシャワーの森」の駐車場へ



岡山市中区祇園、大己貴命(大国主命)がご祭神の備前国総社宮(拝殿)

平成4年2月に焼失し再建、正殿が平成21年、拝殿が平成27年に竣工したそうです

春季例祭、秋季大祭などの恒例祭典や

毎年2月上旬に、歴史に思いを馳せながら古の地を走る

「備前国総社宮杯 アーバントレイル龍ノ口」が行われている



平安時代は祭政一致の時代、朝廷より派遣された国司は政治を行うと同時に

国内の神々に奉幣し、国印と倉の鍵を受け取る儀式が必要だったので

備前国内128神社のご祭神が祀られている総社宮が、国庁近くに設けられたのです



岡山市中区賞田の脇田山安養寺

報恩大師開基の寺で、賞田廃寺跡金堂の礎石が大切に守られていた



総社宮の兼務社である日吉神社

日吉神社近くに、小高い丘がある

お墓の傍らと言うのも何だけど、展望を楽しみながら休憩



国府市場地区と背後に操山

まほろばの風景の中を新幹線が走り抜けます



岡山県最古の古代寺院の一つ、賞田廃寺跡 

7世紀中頃、在地豪族の上道臣(かみつみちのしん)により造営されたと考えられている



7世紀後半に建造された金堂の礎石跡(実物と複製補充されたものが混在)

手前の礎石は安養寺に保管されていたものです



国指定の天然記念物アユモドキが棲んでいる祇園用水

山際に、上道臣の墓と伝わる唐人塚古墳がある

古墳終末期と思われる横穴式古墳で、中は高さも有り結構広い



岡山市中区国府市場に在る「備前国庁跡」

文化十三年子六月吉祥日(1816)と刻まれた鳥居を潜ると、国庁宮の神社が建つ

備中や讃岐などに比べ、

国分寺や国分尼寺は、国庁からかなり遠くに建立されています



広場の説明板に、周辺から古代・中世の建物跡や溝、土器が出土し

「北国長」「国長」「南国長」など、国庁に通じる地名が残っており

この辺りが備前国の政治の中心地であったと、書かれている

市街地を歩き、JR山陽本線高島駅へ

吉備のまほろばと干支の山歩き備前編、完結です

次は美作へ


歩いた道  ホーム