2024年03月16日  ”吉備のまほろばD(美作)”


吉備のまほろばシリーズ最終章は、美作国です

古代吉備王国が大和朝廷の律令制により備前国、備中国、備後国と分かれた後

和銅六年(713)、備前国から六郡が割かれて美作国が発足

今日は、美作国の国府跡や総社宮、国分寺跡、国分尼寺跡を尋ねます

殆ど観光でしたが、吉備のまほろばの続きで「歩いた道」に載せました



神南備山(かんなびやま)展望台から、まほろばの風景を見下ろします

目の前を流れる吉井川の向こうは、国府跡方面

右奥に霞む山は、那岐山、滝山かな?



旧出雲街道沿いに建つ「まちの駅 作州民藝館」(大正時代に建設された中央銀行)

銀行の雰囲気が残る館内に飾られたお雛様を楽しんでから、城西地区の町並みを散策

初代津山藩主・森忠政公の菩提寺である本源寺や

森家改易後に津山藩主となった松平家菩提寺の泰安寺、等々

「城西おかげめぐりマップ」に17もの寺社が載り、 繁栄の歴史を感じさせる

立派な うだつが目立つ商家に飾られた雛のつるし飾りが、古風な感じで素敵です



惣社大明神の神額が掛かる鳥居を潜り、美作三大社の一つ、美作総社宮へ



入母屋妻入様式の本殿は、国の重要文化財

永禄十二年(1569)に毛利元就が造営、明暦三年(1657)津山藩主・森長継が大修理し

昭和七年に解体修理が行われ現在に至っている



美作国が置かれた和銅六年(713)の翌年

ここ亀甲山に、六十五郷全ての社祇を合祀し総社宮として祀る



総社宮の麓に在る龍起山国府臺寺付近が、美作国府跡



境内に「史蹟 美作國府趾」の石碑が建つ



美作国府跡の記、国府臺寺由来記



中山神社参道の、「中山神社 祝木(いほぎ)のケヤキ」

 推定樹齢800年を超える大樹で、「名木百選」に選ばれている

祝木とは、この木の下で大己貴命(大国主命)を祝い祭ったという言い伝えに因む

鳥居を潜り、厳かな境内へ



文武天皇の慶雲4年(707)創建と伝わる 美作国の一の宮、中山神社

美作を支配した戦国武将が先勝祈願に奉納した文書が残っている

本殿は、入母屋造妻入檜皮葺で向唐破風の光背を有し

美作地方独特の 「中山造」という建築様式で、国の重要文化財です



小堀遠州流の作庭師を招いて造った、 旧津山藩別邸庭園(衆楽園)



 南北に長い池に大小4つの島を配した廻遊式庭園で

江戸時代初期の大名庭園の面影を残している

池面に遊ぶカモを見ながら広い庭を一周し、津山城へ向かう


鶴山公園駐車場に車を停め、登城してから城東地区を巡ります



津山城は、津山藩初代藩主、森忠政(森蘭丸の末弟)が築城した平山城です

因みに、嗣子無く森家が改易後入封したのが結城秀康(家康の次男)の曽孫、松平宣富



2005年に復元された備中櫓を見上げながら、登ってゆく

鶴山城ともいわれる津山城は、桜の名所としても名高い

3月23日から開催される「津山さくらまつり」を待ちかねる

 約1000本の桜が開花カウントダウン態勢でした



宮川を挟んで、城東地区、国分寺方面を見る



本丸、二の丸、三の丸と豪壮堅固な石垣が残る津山城は

日本三大平山城址に数えられる(津山市公式観光サイト、つやま小旅)



五層の天守が聳えていた本丸跡から総社宮、国府跡方面を望む



下城後、城前を走る出雲街道を歩き城東へ

宮川に架かる津山大橋から、津山城を見る



城東伝統的建造物保存地区



城東、城西の2地区に、約390軒の伝統的建造物が連なる歴史的町並みが残る

開催中の「津山城下町 雛めぐり」を見ながら、町家歩きを楽しみます



城東むかし町家・旧梶村家住宅

約310年前、元禄時代に建てられた町家 藩札の発行をしていたそうです



引き返して、中心商店街へ

アーケード街では、華々しく「おかみさんの雛まつり」が行われていました



鶴山公園駐車場に戻り、東へ

国分寺町、県道477号側に「史跡美作国分寺跡」



現在の国分寺の西方に隣接する 美作国分寺跡の

寺域はほぼ2町四方、南門、中門、金堂、講堂が一直線に並び、

その外側南東に塔が位置する「国分寺式」といわれる伽藍配置です



現在の龍壽山国分寺

境内には創建時の国分寺礎石が数個置かれています



国分寺略記



美作国分尼寺は、美作国分寺跡の西方450m

津山市日上の「人神」の小字が残る台地上と推定されているが

伽藍配置や寺域など確定されていない

標柱も説明板も無く、ちょっと締まらない最後になりましたが

ノスタルジーに浸りながら楽しく歩けた「吉備のまほろば」、満足、満足でした



帰路、美作市河会山野草群生地に立ち寄り春の花を楽しみました

アズマイチゲと小さなエンゴサク

セツブンソウは少し咲き残っていましたが、時季には見事だったと思います


追記

奈良市平城京跡で聖武天皇の「大嘗祭」に関する木簡が初出土したと

奈良文化財研究所が3月19日発表した

木簡は一千点以上あり、中に「大嘗分」「大嘗贄」「神亀元年(724)」と記されたものや

「白米、木炭、糸、苫(むしろ)」等の文字から、大嘗祭の儀式で使う物資の荷札とみられ

その多くは備中国、周防国から運ばれていたそうです

吉備のまほろばは、ロマンがいっぱいですね〜♪


歩いた道  ホーム