徳島県の古代神話を齧っていると、「忌部」という言葉がよく目に留まります
忌部とは、古代朝廷の祭祀を始めとして祭具作成、宮殿造営を担った氏族のことだそうです
天日鷲命を祖神とし、朝廷に木綿(ゆう)・麻を納め、
また、全国に農業、養蚕、織物、製紙などを伝えたのが阿波忌部氏
今日はその拠点の一つ、貞光川(木綿麻川)中流域の長瀬、吉良地域を尋ねます
国道438号の蜂須トンネルを抜け蜂須二号橋から、蜂須崖を見る
此処を走る度、そそり立つ崖と投げ入れ堂のような社が気になっていたので
今日は近くまで行ってみます
旧国道438を引き返し、宮平の小さい橋を渡り端山小学校方面へ向かう
少し先で右折、かなりな急坂を登りきり下ると貞光川沿いの道となり
そのまま進むと真上に蜂須二号橋が見え(離合はしんどいけど境内でUターンできる)
垂直にそそり立つ絹雲母石黒片岩の崖にへばりつくように鎮座する、蜂須神社に着く
地元の方に尋ねたけど、由緒はよく分からないとのことでした
続いて、友内神社を目指します
長瀬集落からどんどん高度を上げると、川見集落
友内神社一の鳥居
21年前、2004年2月に訪ねて以来の友内山です
日記を見ると、登り55分、下り45分と楽勝のようですが・・・さて?
登山道の記憶はほとんど残っていませんし
パソコンが故障したときに写真も消えてしまい、未知のお山に等しいです
友内神社
(9:07)〜(10:18)友内山
(10:31)〜(11:28)友内神社 (2時間20分)
阿波忌部氏の祖神、天日鷲命を主祭神として祀る友内神社
古来、木綿麻(ゆうま)山とも呼ばれていた友内山には、旧跡や伝説が残っているそうです
案内図を見れば、友内谷と友内谷支流に挟まれた尾根が遊歩道って書かれています
参拝し、境内右から登山道に入る
いきなりの急登を5分ほど頑張ると
林道に飛び出し、法面に登山道が続く
目の前に立ちはだかる巨岩帯を避け、左に回り込む
殆ど遊びの無い、登り一辺倒のお山です
最後の急坂で雪が出てきました
雪に覆われた急斜面のトラバース道をクリアーし、折り返せば頂上です
グランパの足跡を踏んで、一歩一歩慎重に進む
友内山の説明
今日は、「高千穂神山」の名前に惹かれて登ってきましたが
それにしても、たくさんの当て字や名前があるんですねぇ
因みに、万葉集に詠まれた「木綿間山」は筑紫のお山じゃないかと思いますが・・・?
薄っすら霧氷の奥に、高千穂神社(友内神社奥社)が鎮座する
神社の南に、友内山山頂 三等三角点「友内山」 1073.16m
以前登った時は、剣山方面が見えていたように思うんですが
なんといっても21年も前のことですから、木も大きくなるのでしょう
下山途中、西を見る 左奥は黒笠山?
赤松の巨木横を通り
友内神社に下りてきた
短時間だけど、しんどい山でした
友内神社下の山側に整然と積まれた石積み 何でしょう?
一の鳥居付近から長瀬集落、立石山大権現のピーク(写真中央)を見る
奥に連なる阿讃山脈の右端は、竜王山
三木
枋(みきどち)集落から峠を越え、大規模傾斜地集落の家賀(けか)集落へ
忌部神社の大祭主であった麻植因幡守持光の居城、家賀城址の石碑を見て直ぐ
峯の堂(無念堂)、長閑な景色に浸りながらお茶休憩にします
傍に水車や、「赤穂義士 磯貝十郎左衛門正久公生家跡」、「児宮神社参道」の碑がある
車道直ぐ下に在る西福寺へ、石段を下りてゆく
風格ある西福寺山門
かつて吉良の地で忌部神社を守護する別当寺、西寺として創建されたが
度重なる火災で退山、昭和15年、この地に再建されたそうです
「望郷乃丘」より家賀集落を見ると、急傾斜地なのがよく分かります
徳島県西部(2市2町)の急傾斜地の農法、山村風景、食文化が
「にしあわの傾斜地農耕システム」として平成30年に「世界農業遺産」に認定されたそうです
「立石山大権現 500m」の道標を見て、
県道255から分かれ狭い舗装路を上がってゆく
舗装路を200mほど進むと急勾配の狭隘なコンクリート道となり、車を停め歩く
上写真は、駐車地点を振り返る
「立石山大権現 50m」の道標を過ぎ、車道終点の鳥居を潜る
左は断崖絶壁の巨岩横を擦り抜けると
立石山大権現
ウガヤフキアエズノミコトの御陵だそうです
殆ど読めませんが・・・、説明板には「御魂所 立石さんと言う
名神序頌に十一個の大石が直径一丈に円型に並んでいる 云々
御陵は記紀により山頂にあるのが正しい 盛大に祭ろう」と記されています
日本神話に登場するウガヤフキアエズノミコトは、農業の神様です
『古事記』には、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと)
『日本書紀』には、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと) と載る
社殿背後に、たくさんの立石が祀られています
神社から西へ細尾根を少し進むと、南に視界が開け
真下の
長瀬集落付近で、貞光川が蛇行する様子がよく分かります
見上げれば、天を突く友内山!
なぜ高千穂神山?と思ったけど、 今謎が解けました
姿形が天孫降臨の山・高千穂峰にそっくりです
貞光川を挟み、御所平と呼ばれる斜面に広がる吉良集落(忌部の里)
ひとっ飛びで行けそうですが・・・
国道438号へ出て、吉良集落へ向かう
樹齢400年以上と推定される「吉良のエドヒガン桜」
春は見事な花を咲かせることでしょう
天日鷲命を祀る御所神社
現在は、徳島市の忌部神社の摂社とされている
左尾根上に、忌部神社の元宮といわれる清頭岡磐座がある
不動明王がご本尊の五剣山東福寺
神亀元年(724)忌部神社の法楽として創建、空海が弘仁三年(812)に開創したとも伝わる
天正十年(1582)長宗我部の兵火や、また火災に遭うなどしたが
天保四年(1833)に再建して現在に至る
立石山大権現を借景とする東福寺庭園は、その石組みから「五剣山不動尊の庭」と言われている
大自然に神仙思想を加味した庭に建つ春日燈籠は、元禄二年(1689)作製です
第一吉良谷橋手前を川沿いに下り、赤橋を渡ると八大龍王神社が鎮座する
神社横を流れるのは、忌部の祖先が麻や木綿を晒したという貞光川(木綿麻川)
水底が透き通って見える清流に心が洗われ、清々しい気持ちで帰路につきました
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