1月はあっという間に終わり、早くも2月
雛飾りを出して春の準備をしようとウキウキしていたら
立春寒波到来で大雪警報が発令され、今季一番の冷え込みだとか
スプリングエフェメラルが咲き出す温かい春が待ち遠しいです
今日は、つるぎ町半田を尋ねます
中鳥「伊邪那美神社元宮遥拝所」から、高千穂神社が鎮座する山を見上げる
国道192号から分かれ、県道を南へ
どんどん奥に入ると、四国百名山石堂山(1636m)登山口の石堂神社ですが、
今日はすぐ右に入り、徳島250山石堂山(514.4m)に鎮座する石堂神社を目指します
桜の名所で知られる、於安パークを散策後、日浦へ
P
(8:55)〜(10:25)高千穂神社
〜(10:35)石堂神社・重ね石
(11:14)〜(12:08)P
(3時間15分))
神社まで車で入れるようですが、山里の景色を眺めながら車道を歩きます
県道257の蔭名(かげみょう)橋付近に車を停め
日浦地区案内板のところで折り返し、急坂を登ってゆく
先日痛めた腰に少し違和感が残るけど、ゆっくり歩けば大丈夫でしょう
2ヵ所目のヘヤピンカーブで、住宅が見えてきました
この後ヘヤピンカーブを2ヵ所熟して、分岐を左折します
開けたところから、先週登った友内山や立石山大権現方面を見る
「石堂神社→」の道標を見て折り返し、尾根を行く
目の前の丘に高千穂神社の展望台が見える
車道は丘をグルっと巻いていますが、手前の参道を登ってゆく
道標後ろの林から、車道に飛び出しました
鳥居を潜り、猿田彦命が祀られている高千穂神社へ
神社背後の展望台から吉野川を見る
真下に見える砂州は、伊邪那美神社元宮が鎮座する中鳥
「四国三郎の郷」 その背後に、阿讃山脈
高千穂神社から2分で車道から分かれ、石堂神社へ
境内へ入ったところに「ブナノキ」
標高460mの地で育つのは最下位記録との説明があります
境内社の「剣神社」
天気が良ければ、剣山が綺麗に見えるそうですが・・・
歩いている途中で出会い、道を教えていただいた親切な親子さんと
境内の清掃奉仕をされていたご夫妻も交えて、話が弾みます
今日は2月1日、おついたち(一日)参りに来られたそうです
鳥居傍で、狛犬と共に矢を背負った随身像が社殿を護っている
向かい合う二体の随身座像は、かどのもりのかみ(矢大神⦅臣⦆)と、かどのおさ(左大神⦅臣⦆)
棟飾りの神紋は、格調高い菊花紋
隅棟の鬼飾りが、「〇に石」
半田町の重要有形文化財に指定されている石堂神社
創建年は分かっていないが、安政三年(1856)の棟札が残り
御神燈や手水には天明五年(1785)九月と刻まれている
ご祭神は、天神七代と地神五代です
因みに、天神七代とは
@国之常立神(クニノトコタチノカミ)、A豊雲野神(トヨグモヌノカミ)
B宇比地邇神(ウヒヂニノカミ)、須比智邇神(スヒヂニノカミ)
C角杙神(ツヌグイノカミ)、活杙神(イクグイノカミ)
D意富斗能地神(オオトノヂノカミ)、大斗乃弁神(オオトノベノカミ)
E淤母陀琉神(オモダルノカミ)、阿夜訶志古泥神(アヤカシコネノカミ)
F伊邪那岐神(イザナギノカミ)、伊邪那美神(イザナミノカミ)
地神五代とは
@天照大神(アマテラスオオミカミ)
A天忍穂耳尊(アマノオシホミミノミコト)
B瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
C火折尊(ホオリノミコト)
D
鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)
社殿背後の小高い丘に、八社集神や山神などたくさんの祠が鎮座し
昭和四年五月建立の石碑、「御大典記念『阿波十五景之一』徳島日日新報社撰定」がある
御大典記念なので、昭和天皇即位を祝っての石碑だと思います
達筆でよく読み取れませんが
「石堂山の記 ・・・山坂路を登る 麓の村は陽に輝いて・・・」と
車道を縫って歩いてきた日浦集落のことも書かれている
一間社流造の本殿は、明治二十四年(1891)十二月十二日に再建
風格漂う銅板葺の屋根を見れば、雪の多さが窺えます
奥に見えるコンクリート造りの頑丈な建物は、火災に遭い建て直された神輿蔵です
祭りには新調された神輿が賑やかに繰り出されることと思います
奇石「重ね石(神竜石)→」に従って、急な階段をおりてゆく
以前は、転がり落ちそうな急斜面の踏み跡を辿っていたところに
先ほど境内でお会いした方が、ご友人と一緒に階段を設置されたそうです
頑丈な枕木を使った階段なので難なく重ね石まで行け、感謝です
「重ね石」に鎮座する祠には、龍神さんが祀られているのでしょう
「指先3本にて押せば軽く動く」と説明板に書かれているので
巨岩の上に乗る石を両手で押してみましたが、腰が痛いから力が入りません
参道まで戻り皆さんにお礼を言い、石堂山ピークはパスして先に下山します
今回は、両神社のご祭神、猿田彦命や天照大神が
かろうじて阿波の古代神話へと繋いでくれました
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