ブナの森

〜燃える秋〜

赤や黄色、様々な色で豪華に彩られた

紅葉を「錦繍(きんしゅう)」という

このような美しい着物を一生に一度でいいから

着てみたいという願望を表しているそうだ

里が祭りで賑わう頃は、ブナも黄金色に輝く季節

色とりどりの晴れ着で着飾って、賑やかに秋祭りしているだろう

 

剣山

そろそろ秋めいてきているかなと、祖谷川源流の谷を歩いてみた

申し訳無さそうに両手を広げたブナが「もう少し、待って下さいね」

薄緑色になった樹冠から、明るい日差しがこぼれ落ち

静かな原始の森にも、秋の気配が漂い始めている

西島神社が近付くにつれ、日差しに照らされた林内では

ドウダンツツジやリョウブが艶やかさを競い、華やかな裾模様を描いている

のんびり構えてもいられないぞと、慌てたブナが少し色付き始めた

あらら、背中を付き合せて、けんかでもしたの?

早く仲直りしないと、お父さんの雷が落ちるよ

作家・吉川英治の長男、吉川英明さんが「父 吉川英治」の中で

自分が親の身になってみて、父の心根を思いやれば

兄弟げんかをして、どなられ、殴られた時の父の顔が今は懐かしい

「宮本武蔵」の戦後版が刊行された時、見返しに書いて呉れた言葉

正しく 健康に 仲良く 母をいつくしみ

生命を 楽しみ給えよ 

貰った時は何とも思わなかったその字句が

下宿して一人になった時、何物にも換え難いほど大切な物に思えた

「生命を楽しみ給えよ」の言葉に込められた父の無限の愛情を

今ひしひしと感じている、と述懐していた

 

瓶ヶ森林道沿い縦走路

「見てー!」といわんばかりに、空に向かって伸びやかに広がるブナ

朝の柔らかい陽光を受けて、黄金色に輝く

これぞ、まさしく錦繍! 息を呑む美しさだ!

まるで魔法をかけられたかのように、其処から足が動かない

原生林の鬱蒼とした佇まいの森も、この時期は晴れやか〜

気持ち良さそうにのびのびと四方へ枝を伸ばし、寛いでいるブナたち

自然がおりなす悠久の歴史からみれば、人の一生などほんの束の間

小さい事にくよくよしないで、大局を見てごらんとでも言いたげな表情だ

「人の一生は重荷を負いて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず(家康訓)」

ドラゴンブナ

踊っているようなブナに、やっと日が当たり出した

良く見ると、まるで龍が酔っ払っているみたい

朝早くから、ご機嫌さんですね〜 (笑)

 

光石〜三嶺(さおりが原)

紅葉競演、仲良く微笑みあっている

仏教の言葉に、青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光というのがある

(しょうしきしょうこう おうしきおうこう しゃくしきしゃっこう びゃくしきびゃこう)

男からは男の光、女からは女の光、老人からは老人の光、若者からは若者の光

全てのものが、其々の光を存分に放ちあって、しかも調和が生まれる世界

和気藹々のブナたちを見ていると、そんな言葉が浮かんで来た

ツタウルシも一役買って、父親の様な威厳に満ちたブナを盛り立てる

未だ根強い封建社会の中、近代西洋文明の影響を受けた福澤諭吉

彼の著書「学問のすすめ」は、当時340万部売れたそうだから

国民の十人に一人は読み、多くの人々が前途に希望を抱いたのだろう

アメリカ留学中の息子たちに、5年間で300通以上の手紙を書き送ったそうだが

「官吏との交際は公用に限るべし。私恩を受けないよう心がけたいものである」

と、独立自尊という生き方の根本を諭す手紙からは

日本近代化の巨人・福澤諭吉の父親としての一面を垣間見る事が出来る

福澤諭吉訓

世の中で一番楽しい事は、一生涯を貫く仕事を持つ事である 

世の中で一番みじめな事は、教養の無い事である       

世の中で一番淋しい事は、する事のない事である        

世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事である 

世の中で一番美しい事は、全てのものに愛情を持つ事である

世の中で一番悲しい事は、うそをつく事である          

祖谷の貴婦人・三嶺が、ブナの黄葉越しに品の良い姿を現す

大江健三郎さんが、ノーベル文学賞授賞式で訪れたスウェーデンでの晩餐は

量も程よく、しっくりと満ち足りた「ディーセントな食事」だったと語っていた

decent(ディーセント)人間味あふれた、きちんとした

その場、その環境にしっくりした上品な、品の良いという意味だそうだ

decent(ディーセント)、なんと素敵な響きの言葉なのかしら

歯磨きの後、鏡の中の自分に「ディーセントな一日でしたか?」と問いかけてみよう

背筋を伸ばし、にっこり頷けると良いのだが・・・

 

大普賢岳

水太谷へと落ちていく味わい深い紅葉

この深い森で、多くの修験者を見てきたであろうブナ

役行者が開いた奥駈修行は、今も続けられ

自らが木になり、岩になり、風になり、吉野から熊野まで山道を駈け巡る

せめて、自然の生命溢れる、山の”気”を思いっきり吸い込んで歩こう

葉っぱを色とりどりに紅葉させ、真っ直ぐ立ち尽くすブナ

ある日の教室での出来事ですが、・・・・・・・(略)・・・・・           

 私は此の時、何かの本でこのような場面があったなあと思いました。    

三上満さんの「何を教え 何を学ぶか」です。                 

 うそをつくことが尊い場合だってある、ということが分かった話でした。   

ある女の子がサラダを作りかけ、マヨネーズが無い事に気がつきました。 

それを聞いた弟が、「僕が買ってくる」と、雨の中を走っていったのです。  

 でも弟が行った後、マヨネーズを見つけ、それでサラダを作ろうとした時  

 お父さんが、「今、弟がどんな気持ちで買いに行っているか分かるか。弟が

買って来てくれるマヨネーズでサラダが出来ると思わなければいけない。」

その時、受けた感動と同じ感動を覚えました。                 

そして、「ああ、この先生は素晴らしいなあ」と思いました。          

 (三島図書館長のI先生に、学校での感動を綴った娘の手紙) 

中学生の頃、「にんげんだもの」を読み、相田みつをさんに手紙を差し上げ

「あなたは鋭い感性を持ったお嬢さんです」と

言って貰った娘も、只今子育て真っ最中

無双洞から和佐又に向かって、原始の色濃い森を歩いて行くと

他を圧倒するブナの巨木が突然目の前に現れた

この森の主だろうか

オークル色に染まった梢から、ひよっこり

グリム童話の魔女が出て来そうな雰囲気だ

 

石鎚(面河道)

紅葉真っ盛りの天狗岳周辺の賑わいとはうって変わって

静かな面河山付近は季節の変わり目を迎えようとしている

秋の落ち着いた気配が、これから少しずつ森を覆っていくのだろう

 

石鎚(御塔谷)

ブナの葉は薄黄緑色から黄金色そして赤茶色と

僅かの間にいそがしく変化する

ブナにからみ付いて、彩を添えているのはツタウルシだろうか

 

御来光の滝

紅葉は一日の温度差が激しいほど美しい

渓流に沿った所は、そんな条件にぴったりなので見事な色彩になる

平均気温が7℃以下になるとブナは紅葉しだし

3週間後には見事に燃え上がる

光る 光る すべては 光る  光らないものは ひとつとしてない

みずから 光らないものは 他から 光を受けて 光る      

「念ずれば花ひらく」、母の残した言葉を守り続けた坂村真民さんが

「人間、六里四方のものを食べていれば間違いは無い」と話されていたのを思い出す

ある日、庭の隅に可愛い双葉が目を出した

貰ったネギ苗を植える時、ついでに種を蒔いたのだけど

さて、小松菜だったのか?、チンゲンサイだったのか?

名前も呼んで貰えんのに、そんな事にはお構いなくグングン育つ

取り敢えず、間引き菜をおひたしにして食べたが美味しい!

名無しの菜っ葉さんだけど、毎日小鉢に盛られ重宝されている

 

石鎚(今宮道)

昭和43年、下谷山麓から山頂成就を結ぶロープウェイが架設されてから

通る人も少なくなった古の表参道・今宮道を歩いて、やっとスキー場近くに着いた

始まったばかりの黄葉が落ち着いた雰囲気を醸し出し、疲れを癒してくれる

風が吹き抜け厳しい寒気にさらされながらも

僅かに残った枝葉を紅葉させ、人々を見守っているブナ

参道を歩く人も随分変わってきたなと思っているかもしれない

「世の中が末になると、川や海や空気が濁って来るばかりか

時代そのものが濁り、汚れ、そして人間が小さくなっていく」

老ブナに触れていると、ふと親鸞聖人の嘆きが頭をよぎった

 

九重連山

ブナの幹は千変万化、不思議な味わいの模様が描かれている

薄緑色の森の奥に、紅葉し始めたカエデが霞む

一足早い秋を感じながら、火山の山を歩いた

 

東温アルプス

枝を伸び伸びと拡げ、仲良く並んだ稜線上のブナの一群

良く晴れわたった秋の一日、葉影が揺れている

厳しい風にもてあそばれ、あっという間に紅葉も終わってしまいそう

紅葉末期の赤茶色に染まったブナはまるで燃えている様に見える

その中に白い幹がうかびあがり妖しいまでの美しさだ

「生きることは燃えることなり」とでも言っているのだろうか

笹原にすくっと立ちつくす、姿勢の良いブナ

葉から集めた水を、雨どいのように枝から幹を伝って根本まで運ぶ

「樹幹流」と呼ばれる水の通り道が幾筋も走っている

全てのものに与えられた、其々の役割の大切さを思う

「一生懸命働く事、感謝の心を忘れない事、善い思い、正しい行いに努める事

素直な反省心で自分を律する事、日々の暮らしの中で心を磨き人格を高め続ける事

当たり前のことを一生懸命行う事に、まさに人としての生きる意義がある」

最近読んだ、稲盛和夫著「生き方」に明るい未来が見えて来た

 

笹ヶ峰南面尾根

里では賑やかに秋祭りが繰り広げられているというのに

初雪に見舞われた尾根は、ピーンと研ぎ澄まされた空気が漂う

静かな海の中を浮遊しているような錯覚に陥りながら

「霧に包まれた柔らかな紅葉もまた楽し」と

やせ我慢張りながら言う声も、寒さで震えていた

 

三徳山三佛寺

蒜山の帰りに、足を延ばし三朝町の三徳山へ「投入堂」を見に行った

三佛寺境内の谷川に架かる朱塗りの宿入橋を渡ると、其処は山岳仏教の霊場

木の根を頼りに「かずら坂」を攀じ登り、鎖場や岩混じりの痩せ尾根を行く

緊張をほぐしてくれるかのように、柔らかい黄葉が辺りを覆っている

不安定な足下に気をつけながら、紅葉で彩られた断崖絶壁を見上げると

役行者が投げ入れたと伝えられる、三佛寺奥之院の国宝「投入堂」が建つ

 

大滝山

四国北限のブナ林

香川県では、ブナは大滝山と竜王山にしか見られないそうだ

ブナも、人も、其々適材適所

法隆寺・薬師寺宮大工棟梁、西岡常一著 「木に学べ」より抜粋

自然を忘れて、自然を犠牲にしたらおしまいでっせ。

自動車売ってもうけた金を農山林業にかえさんと、自然がなくなってしまいます。

今は太陽は当たり前、空気も当たり前と思っている。

心から自然を尊ぶという人がありませんわな。

このままやったら、1世紀か2世紀のうちに日本は砂漠になるんやないかと思います。

お釈迦様は「樹恩」という事を説いておられる

木が無ければ人間は滅びてしまう。

山というのは、人間で言えば母親の懐やと思います

仏法の慈悲ゆうたら母が子を思う心だっせ、

自分の一身に代えても子を救おうとする、それが慈悲でんがな

何百年もの間、競争して生き残ったやつは強い木ですわ。

風や雪や雨やえらいこってすわ。

此処は雪が降るからいややいうて木は逃げませんからな。

じっと我慢して、我慢強いやつが勝ち残るんです

此処は鳥達が囀るブナの道

あなたの道を見つけましょう・・・

あなたの道があり、わたしの道があり

彼らの道があり、彼の道があり、彼女の道があり

一つの道があり、唯一の道があり

長い道があり、短い道があり

正しい道があり、、間違った道があり

やさしい道があり、難しい道があり

良い道があり、悪い道があり

この道があり、あの道があり

いろいろな道があります

どの道を行きますか?

時間をかけて いちばんうまくいく道 

いちばんいい道を見つけましょう

そして、その道を行くのです!

(「子どもが育つ魔法の言葉」 著者 ドロシー・ロー・ノルト)

 

高越山

繊維質の多いブナの落ち葉は、ゆっくりと土に還っていく

柔らかい絨毯を敷き詰めたようなふかふかの地面は、とても気持ちが良い

ブナの森の地中は、70%が隙間だそうだが

細かく張り巡らされた根、厚い腐葉土、微生物が沢山の隙間をつくり

その中に溜め込んだ水を、栄養豊かな美味しい水に変えていく

オコーツァンの頂上から吉野川を見下ろすように

人々の生活を育むブナと、心を育むお大師さんが並んでいる

高越寺奥之院参道は明るいブナの参道

こんなに日当たりが良い場所ならば

ひょっとしてブナの子どもは居ないかなと、探してみたが

林床の双葉を見ただけでは、これがブナの子どもだという自信が無い

何時も、いいかげんに見過ごしてしまっている事に反省

高越山の事は全て見て来て、何でも知り尽くしたかのような大ブナ

ブナの平均寿命は400〜500年

5,6年に一度沢山花を咲かせ、秋には大量の実を落とし

春になると、林床から一斉に芽を出す

それでも、開花までには40〜50年、実がなるのには80余年と

気の遠くなるような年月を費やして、やっと成人式だそうだ

 

焼山寺山

私も一応ブナの仲間、ブナ科ブナ属のイヌブナ

ブナの学術名は  Fagus crenata   

イヌブナの学術名は Fagus japonica 

japonicaってラテン語で日本のことだから日本特有なのかしら?

色白のシロブナと比べると、色が黒い私の別名はクロブナ

お肌もざらざらで、ちょっと見劣りするけど、気にしないわ〜

標高600mと低い所に住んでいるから、少し時期は遅いけど

ゆっくり黄葉を楽しんでね〜

 

獅子舞ノ鼻 (舟窪)

晩秋のさびた彩を醸すブナ

落ち着いた人相(樹相かな)が感じられる

一冊本を読むと顔が違ってくる。少なくとも人生が違ってくると

小泉信三が「読書論」の中で言っていたが・・・

リンカーンが、ある人物の顔が好きでないからという理由で

閣僚に採用しなかった。それは酷ではないかと言うと

40歳以上の人間は、自分の顔に責任があると言ったそうだ

あらら、はるか昔に40歳は越えてしまっていたわ

葉を落とし始め、少し寒そうな気配が感じられるが

晩秋の陽に照らされたブナからは、翌春への”希望”が漲る

秋の 旅路の 何となくいそぐ   山頭火

両肩に有り余るほどの「業」を背負い、母を偲びながら

あてども無く行乞してまわった山頭火の愚直な人生を想った

ほんものと  にせものは  見えないところのあり方で決まる

それだのに にせものに限って見えるところばかり気にし 飾り

ますます   ほんとのにせものになっていく          

急な斜面にどっしりと構える主たちを見ていると

にせものの私には、この言葉がズシリと胸底に応えて来る

 

大座礼

四国を分断する脊梁山脈のど真ん中に立ちつくす、ブナの親分さん

枝を四方八方に伸ばした様子から、「タコの逆立ち」と形容される

数年前、雑誌に四国一の巨大ブナと紹介されてから知名度は全国区

今では、根張りを踏み荒らさないようにと、周りに柵が設けられている

この根がこのブナを支えてきたのかと思うと、威厳すら感じる

昔、あの垂れ下がった枝にぶら下がったりして悪かったかな

秋は寂しさを詠った詩が多いが

紅葉の華やかさが別れの宴だと思うと、一抹の寂しさも感じる

燃え上がっていた森は、今は静かに冬の訪れを待つ

そうして、ブナの炎を消すかのように白い雪が舞い降りてくる  

啓子の部屋  ホーム