”ブナと語る”

芽吹きの頃、艶やかな紅葉、どれも素晴らしいが

中でも、深い雪に耐えじっと春を待つブナが好き

雪ブナを眺めながら、心に残った事や言葉を思いつくまま綴ってみました

 

奥裾花自然園(長野・白馬山麓) (05年05月03日)

残雪の森にも、緑が萌え出し遅い春がやって来た

雪を頂いた山々を背景に、ブナが勢いよく芽吹き春を謳歌している

信州の山を眺めていると、二ッ岳を見て、故郷の山・戸隠山が懐かしいという俳句を残した一茶を思い出す

3歳で母と死別し祖母に育てられるが、祖母亡き後、江戸に奉公に出される

父も無くなり継母や異母弟たちと相続争いの末、故郷に帰った時は既に51歳

郷里・信州柏原村は標高700mの高地・豪雪地帯 是がまあ ついの栖か 雪五尺

故郷の地で妻を娶り幸せに暮らしたのも束の間、妻子を病で亡くしてしまう

目出度さも ちう位也 おらが春  (子が誕生した57歳の春に)

再婚しわが子の誕生を見ても手放しでは喜べなかった一茶の寂しさがひしひしと伝わって来る

 

 

石墨山 (05年02月06日)

頂上標識も深い雪の下、強風に煽られ、雪煙が舞うブナの尾根を黙々と歩く

 

十数年も前の事なのに、今尚聞いた時の感動と共に思い出す話がある

静岡県三島の竜沢寺(曹洞宗)の管長で、傑僧と言われた山本玄峰老師

旭川で行われた玄峰老師の講演を聞き、その話に感動した旭川刑務所の所長さんが

「先生のもったいないお話をちょっとの時間でも囚人たちにして頂けないものでしょうか」と

快諾された老師は、次の講演先・岩見沢へ向かう前の寸暇を割いて刑務所へ向かわれた

広い会場に二千人の人たちがガヤガヤとやかましく、とても話を聴くような様子ではない

所長さんに案内されて老師が側を通られると聞こえよがしに「また坊主の話か」と大声で言う

老師は壇上に上がられると、両手を合わされて囚人たちを拝まれた

そして、「みんな、こらえてくれよ、なぁー  仏さんの尊い教えがあるのに

わしら坊主が怠けて、仏さんの教えを広めんもんじゃけに

みんな、この寒い北海道で、つらいめしとる  こらえて  くれよなあー」

騒々しかった場内がシーンと静まり返った。そしてどこからか、すすり泣きの声が聞こえ出した

その時、老師は「たった一つなあー、みんなの、どの人の胸にも、仏さんが、ちゃんといなさる

そのことだけ 覚えとって くれよナー 」と、またみんなを拝まれて壇を降りられた

すすり泣きの声が、次第に大きくなり号泣する声になって老師を見送ったそうだ

 

 

寒風山 (07年12月24日)

下山時、ガスが晴れ出してくると、霧氷越しに伊予富士が姿を現した〜♪

父・高田好胤の思い出を綴ったエッセイ「心の添え木」(高田都耶子著)より抜粋@

「オンコロコロ センダリ マトウギソワカ」薬師如来のご真言です

真言とは佛さまのお言葉そのものを、意味が損なわれないように表記したもの 

オンは南無、身も心も捧げますという意味、コロコロはありがたい、うれしい、もったいない

センダリはチャンダーラともいいカーストの最下層からも外れたアオウオ・カースト

マトウギはある娘の名前、ソワカは功徳あれ成就あれという意味です

お経と言うと四角い漢字ばかり並んでむずかしい教えのように思う人が多いのですが

四角ではなく「仏法は円い心の教えなり」です

かたよらない こころ  こだわらない こころ  とらわれない こころ

ひろく ひろく もっとひろく  自分以外のものを認めないというのは自我です

お互いが価値を認め合う豊かな菩薩の心に目覚めたいものです

 

 

二ツ岳(中ノ川) (08年01月05日)

植林の中で頑張るブナ、グランパ山登り原点の山・二ツ岳で出会えるとは感動でした

木々は微かに雪化粧、本格的な雪はこれからだ

父・高田好胤の思い出を綴ったエッセイ「心の添え木」(高田都耶子著)より抜粋A

「米」はヨネとも読みますが、このヨは代であり、世であり、齢(よ)でもあります。

ネは根で、つまりお米は日本人の「命の根」なのです。

われわれの体だけでなく命をはぐくみ、養ってくださるのがお米さんです。

食事を頂く時に唱える「対食五観の偈(たいじきごかんのげ)」の5番目に

「道業を成ぜんがためなり、世法は意にあらず」というのがあります

食事を頂くのも、人の道を成就完成するためという思いでいただくのです

「米」という字を分解すると「八十八」になり、これは種をまいてから刈り取りまで八十八回手をかけるからだとも

また、八十八回よく噛んで食べなさいとも言われています

ちなみによく噛むほどコメカミが働き脳に健全な刺激を与えるといいます

農家の苦労を偲びつつ食事を頂くことが心の養いとなり、人の道を成就させることになるのであって

決して食事は単に食欲を満たし、味覚を楽しむだけのものではありません

「ありがたい、おかげさま、もったいない」、日本人の大切な心を忘れてはならない

食べられる事のありがたさを思い喜びと感謝と敬いの心を持って、毎回「いただきます」

 

 

国見山 (08年01月06日)

荘厳なブナ越しに、雪を被った剣山系、祖谷山系、石鎚山系が一望の下

感動の風景が広がる「展望とブナの国見山」を満喫でした

いいですか

いくらのろくても かまいませんよ

たいせつなことはね  いつでも前をむいて

自分の足で 自分の道を   歩くことですよ   みつを

しあわせは いつも

自分のこころが きめる   みつを

声に出して読むと、身体中に力が漲って来る

 

 

梶ガ森 (08年01月19日)

薄っすら雪化粧されたブナ、この苔むしたブナが土佐の名水を育む

十億の人に  十億の母あらんも  わが母にまさる  母ありなんや  暁烏 敏(あけがらす はや)

母の日にチョコレートをプレゼントした思い出を綴った、高校生の作文

翌朝、眼をさますと、私の枕もとに、一枚の手紙と板チョコの半分が銀紙につつんでおいてありました

「ルリ子、きのうはプレゼントどうもありがとう

お母さんね、これまで、あんなおいしいチョコレート、食べたことがなかったよ

こんなにおいしいんだもの、お母さんの大好きなルリ子にも半分食べてほしくなりました

これからも、元気でそして素直な、よい子になってくださいね」

読んでいるうちに、涙がこみ上げてきて、あの時ほど、

お母さんの子に生まれてきたことを誇りに思ったことはありませんでした

あの時の感激は、生涯忘れることはないでしょう(中略)

どんな時にも、お母さんへの感謝の気持ちだけは失わないつもりです

お母さん、私の大好きなお母さん 私の最大の理解者であるお母さん

いつまでも若々しく、そしてもっともっと幸福になって下さい

「お母さんバンザイ」の声が聞こえてくる作文を読んで、温かな気持ちが込み上げて来た

ルリ子ちゃんも、きっと素晴らしいお母さんになっていることだろう

 

 

剣 山 (08年01月26日)

お互い白い頭を撫でながら、丸笹山と剣山が長〜い睨めっこ

どちらが先に笑い出すのかしら?

紀行選集 「わが旅の記」 (吉田絃二郎著 昭和22年)から心に留まった一文を

山に対して座っていると終日飽くことががない。

終日対座していてなお人を飽かせないほどの人は滅多にありえない。

たいていの人には濁りがある。我がある。 山には濁りもなく我もない。

釈迦は霊山に臥座していたというが、山を眺めていたのであるかもしれない。

一年でも二年でも山と対座していることのできる人であったら、まことに豪い人だと思う。

山のような感じの人が欲しい。 山に対座していることのできる人が欲しい。

40年近く対座していながら、今尚新しい発見に驚いている

お互いが心の底から分かり合えるまでには、後何年必要なんだろう

 

 

獅子舞ノ鼻 (08年02月03日)

宋の時代の蘇東坡(そとうば)が残した言葉

「三日、本を読まなかったら、顔つきが憎たらしくなり、語る言葉に味がなくなる」

本当に綺麗なお顔をされた上村秀男先生(号 三竿)のお話を伺って

蘇東坡の言葉がズシンとお腹に収まった

多忙 即多望といわん 梅二月 (三竿)

梅の花が咲き出すと、上村先生が詠まれたこの俳句を思い出す

      

 

石鎚山 (08年02月11日)

「きつつきの商売 1」  林原玉枝作

きつつきが、お店をひらきました。

きつつきは、森中の木の中から、えりすぐりの木を見つけてきて、かんばんをこしらえました

かんばんにきざんだお店の名前は、こうです。 おとや。

「できたての音、すてきないい音お聞かせします。四分音ぷ一っこにつき、どれでも百リル。」

「へええ、どれでも百リル。どんな音があるのかしら。」

そう言って、真っ先にやって来たのは、茶色い耳をぴんと立てた野うさぎでした。

野うさぎはきつつきのさし出したメニューをじっくりながめて、メニューのいちばんはじっこを指差しながら

「これにするわ。」と言いました。 ぶなの音です。

「四分音ぷ分、ちょうだい。」 「承知しました。では、どうぞこちらへ。」

きつつきは野うさぎをつれてぶなの森にやって来ました。

それから、野うさぎを、大きなぶなの木の下に立たせると

「さあ、いきますよ、いいですか。」きつつきは木の上から声をかけました。

野うさぎはきつつきを見上げて、こっくりうなずきました。

「では。」 きつつきはぶなの木のみきをくちばしで力いっぱいたたきました。

コ〜ン。 ぶなの木の音が、ぶなの森にこだましました。

野うさぎは、きつつきを見上げたまま、だまって聞いていました。

きつつきもうっとり聞いていました。

四分音ぷ分よりも、うんと長い時間がすぎてゆきました。

 

 

中津明神山 (08年03月08日)

「きつつきの商売 2」  林原玉枝作

ぶなの森に、雨がふりはじめます。

きつつきは新しいメニューを思いつきました。 (中略)

「さ、いいですか。今日だけのとくべつな音です。お口をとじて、目をとじて、聞いてください。」

みんなは、しいんとだまって、目をとじました。

目をとじると、そこらじゅうのいろんな音が、いちどに聞こえてきました。

ぶなの葉っぱの シャバシャバシャバ。

地めんからの、パシパシピチピチ。

葉っぱのかさの、パリパリ。

そして、ぶなの森の、ずっとおくふかくから、ドウドウドウ。ザワザワワワ。

「ああ、聞こえる、聞こえる、雨の音だ。」

「ああ、聞こえる雨の音だ。」

「ほんとうだ。聞こえる。」

「雨の音だ。」

「へえ。」

「うふふ。」

野ねずみたちは、みんなにこにこうなずいて、それから、目を開けたりとじたりしながら

ずうっとずうっと、とくべつメニューの雨の音につつまれていたのでした。

 

 

伯耆大山 (08年03月15日)

ブナ越しの三鈷峰、ずっと後ろは矢筈ヶ山(やはずがせん)

抜けるような青空に背伸びするブナ、木の周りは雪が消え根回り穴が出来ている

森の土はたっぷり水を蓄え、それを少しずつ流し出し洪水を防ぐダムの役目を果たす

春の日差しがブナ林に差し込み、眩しいほど美しく輝く姿を見ていたら

科学者であり、立派な人間教育者でもあった隠岐の聖人・永見佐一郎を思い出した

博士が長い人生の体験からわりだした「生き方」の公式

人間の価値=天職に熱心な度×心のきれいな度

 

 

石鎚山(11年01月08日)

純白の花を付けたブナが、冬の冷たい青空に寂とした輝きを放っている

新しい年の清々しい空気に包まれて、厳かにブナの山門を潜る

 

「健康塾」(医学博士・木村裕昭著)より ーまねる、なれる、なりきるー

お手本にしたい人を真似て、演じているうちに

いつとはなしにその人の雰囲気が身につき

考え方もどうやら理解出来るようになるものです

やがて無意識に、当たり前のように出来る頃には

それはもう真似ではなくすっかり自分のものになってしまっています

 

 

大ボシ山(11年01月14日)

平家伝説の山々、雪花の森となる

戦に負け、逃げ延びる生活は過酷なものだっただろう

求めないー すると 驚きが目をさます

求めないー すると 内から湧いてくる

求めないー すると 自分が見えてくる

求めない人生・・・私には難し過ぎるが

ブナに囲まれ凛とした静けさの中にいると、命の神秘が見えてくる

 

 

大山中腹 (11年01月22日)

豪雪に埋もれた大山寺集落、日常生活のご苦労が偲ばれる

平成23年3月11日、M9,0の激震が東北関東一帯を襲った

地震直後、大津波が町を襲い未曾有の大災害をもたらした

そして福島原子力発電所のトラブルが続く

今、日本中、世界中から救援の手が差し伸べられている

TVで映し出される映像に心痛めながら、遠く離れて一体何が出来るのだろうか

特別な事でなくていい、無理なく出来ること

山歩きは生活のリズム、止めるのはちょっと無理

で、歩きながら考えてみた

車の運転を、暖房を、食事&晩酌等々をなるべく控え、その分の義援金を送りたい

一人ひとりの力は弱くても、それが結集すれば大災害に立ち向かう力となる

 

相対性理論(それを現実化したのが広島長崎に投下された原爆なのだが)で

ノーベル物理学賞を貰ったアルベルト・アインシュタインが

大正十一年、来日した時の語録(とされているが疑問は残る)

世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れる時が来る。

その時、人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。

(中略)

我々は神に感謝する。我々に日本という、尊い国をつくって置いてくれたことを。

我らが尊い日本、頑張ろう!

 

 

梶ガ森 (11年02月13日)

ウェディングベールのような真っ白い雪を全身に纏うブナ

深い雪の中にしっかりと根を張り、堂々とした姿で立ち尽くすブナ

小さいことに不平不満を言わないで、ドッシリ構えて生きていこうと語りかけている

「日本の美林」の著者・井原俊一氏は言う

森を見て歩くうえで、もっとも大切にしなければならないことは、想像力ではないだろうか

これからも木々と会話しながら自分を見つめ、森の中を歩きたい

啓子の部屋  ホーム