本川村 「氷室祭り」

予土国境付近、本川村の手箱山(1806m)山中に雪屋(氷室)があり

土佐十万石2代目藩主・山内忠義公の時代(西暦1600年代前半)まで

毎年旧暦6月1日に、この氷室の氷を取り出して壺に納め夜間の早飛脚で献上した

領家郷には、今も雪道とよばれるその近道があると、「寺川郷談」に記されている

 

南国の土佐で氷を貯蔵し、真夏に何十キロも離れた高知のお城まで届けるなんて

はたして、そんな事が出来たのだろうか?

氷室があった場所は山中のどの辺りなのか? 氷室の構造は? 貯蔵方法は? 

はたまた 城下まで届けるルートは? ・・・・

手箱山の「箱」の中には、謎がいっぱい ロマンがいっぱい詰まっている

 

この手箱山の氷室伝説ロマンに魅せられた「越裏門(えりもん)・寺川地区村おこし協議会」の方々が

1991年厳冬期、氷室を再現し、7月19日氷を高知県庁まで運び県民に大きな感動を与えたそうだ

以後、毎年2月に氷室づくり(氷詰め)、7月に氷室びらきを行い

麓の越裏門地区で「氷室まつり」が盛大に行なわれている

高知県の奥深い山中の小さな村・本川村の「氷室まつり」

自然界からの贈り物・氷が主役の祭りに熱く燃えてきました

瓶ガ森(1897m)より手箱山を望む(奥の平らな山、ピークは左端) 右のずんぐり頭は筒上山(1859m)

石鎚山系主稜線から外れた信仰の山の何処かに氷室伝説が眠っている

(四国では他に、宇和島市薬師谷渓谷の篠駄馬、徳島県神山町の高根山中の2箇所が確認されている)

GPSによるトラックログ(カシミールソフト使用)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。」(承認番号 平18総使、第582号)

氷室は手箱山山中標高1450m付近に再現されている

大瀧ノ滝登山口から標高差700m、約2時間

 

2008年07月20日 第18回氷室祭り (氷室開き)

2001年7月15日、初めて氷室まつりを見に行った時

雨の中、大きな氷を担いだ人たちが次々と祭り会場に駆け込んでくる光景に感動して

是非一度氷の掘り出しに参加してみたいと思っていた

7時、掘り出し隊のみなさんと一緒に手箱山登山口を出発

急坂の後、心地好い風に吹かれながら尾根を進むと、程なく氷室に到着

みんなの期待を集めてどんどん掘っていくが、いくら待っても氷は現れない

誰ともなく 「こりゃ、無いかもわからん」と、諦めムードが漂い始めた時「有った!」

オガクズの中から現れた氷を見つめて、 しばし唖然・・・

皆の熱い視線で、今にも融けてしまいそう  

この日は、大洲で38,2度 四国中央市も35,2度 氷も融ける暑さでした

(2008年2月10日の氷詰めの様子  許可を得、いの町観光協会HPより転載させて頂きました)

尾根は腰まで埋まる大雪で、氷室へ辿り着くのに3時間以上かかり

おまけに、置いていた作業用のツルハシは深い雪のため見つからず、雪を掻き分けての作業は難航

時間が足りなく氷詰めは一往復しか出来ず、例年の半分程しか詰められなかったそうだ

500キロの氷がどれだけ残っているか?心配しながらの氷出しだったが

残った400gの氷を見ながら、来年の氷詰めに参加して大きな氷を担ごうと決心した

えっ? 邪魔になるんじゃないかって?  まぁ見ていて下さい

 

2009年02月15日 第19回氷室まつり (氷詰め)

その日がやって来ました

約70人集まった氷詰め登山隊、 大瀧ノ滝をバックに会長さんの挨拶

やっぱり今年は暖冬、滝も凍っていない

もっと気温が下がれば、滝に氷のシャンデリアが出来て綺麗なんだけどなぁ

補充するオガクズを背負って、植林の急坂を黙々と登って行く

途中見える瓶ヶ森、西黒森に全然雪が無い!

果たして氷はあるのかしら、心配

尾根から分かれ、ブナの間を縫って笹斜面を下り、氷室に到着

氷室は北斜面のため僅かに雪が残っているが昨年の大雪とは大違い、今年は春の陽気

手際よく火が熾され、大鍋が掛けられる

氷室は、1坪 m3 の大きさ

早速、古いオガクズが掘り出され氷詰めの準備

目標は1,5トンの氷、頑張るぞー!

昔、全国で800箇所以上有ったといわれる氷室

中でも大きいのが、大和高原の北、海抜480mの天理市福住町室山にある氷室跡で

上面直径8.4〜10.6m 深さ2.67mもあるそうだ

尾根を進み、小広くなった氷室番所跡を過ぎた所から沢に下り、氷を求めて遡上する

沢は勢いよく雪融け水が流れる、氷なんかあるんかしら? ちょっと心配

ありました〜  さぁ、みんなドンドン運んで

「5キロほど、お願いしま〜す」

氷室まで往復して氷の切り出し場まで戻って来ると、もう殆んど氷が無くなっている

結局2往復で氷はお終い

50キロの後を行く、5キロ  ねっ、十分役にたっているでしょう

沢から尾根に上がるまでの急坂が、しんどい!

此方は84キロ、ガンバレ!

さすが、本川一の力持ちも、背負った瞬間、息が止まったそうだ

春の陽気のなか、ブナ林を氷が行く

なんかミスマッチな風景ねぇ

運ばれて来た氷の重さを測って、記録していく

グランパは2往復で35キロ、私は10キロと、チョッピリ貢献で〜す

最後に84キロの大物が到着

目標の1,5トンには届かなかったけれど、957キロ氷詰めされました

氷に雨水は大敵、氷室の周りを水切りして氷詰めは終了

これまでで、2トン詰めて500キロ残った年があったそうだが

さて今年は? 一割くらいは残るかな?

丁度、猪汁のいい匂い〜 ご馳走様でした

みんなとびっきりの笑顔で、記念撮影

7月19日の氷出しに、又会いましょう

オ〜イ、手箱山〜

また夏に来るから、それまで氷を守ってね〜

 

07月19日 第19回氷室祭り 氷室開き

今日、陰暦6月1日は、「氷の朔日(ついたち)」と呼ばれ

正月から保存しておいた氷餅(ひもち)を食べる習慣が、昭和30年頃まで残っていたとか

また宮中では、「氷室の節会・賜冰節(しひょうせつ)」といって

献上された氷を、天皇が群臣に与える儀式が行なわれたそうだ

さあ、今日は氷室開き、梅雨は未だ開けていないが暑い日が続きちょっと心配

6時半、越裏門公民館に集合

本川村のマイクロバスで、登山口の大瀧ノ滝展望所へ

氷室まつり実行委員長、続いて登山隊長より、挨拶

7時 総勢24人の登山隊 いざ、出発〜

2時間弱で、ブナやヤマアジサイに守られた氷室に到着

ひんやりした空気が流れる

この下に、果たして氷は残っているのでしょうか?

ベテランが言うには、オガクズの沈み具合から今年は期待が出来そうだと

ワクワク ドキドキ

先ずは、オガクズを除けていきます

氷が掘り出されるのを待ちながら、源氏物語「常夏」の帖を思い出していた

主語は勿論、六条院(光源氏)

「たいそう暑い日に、東の釣殿へお出ましになられてお涼みになります。

中将の君(夕霧)も伺候し、親しい殿上人が数多侍うて、お盃を酌み交され

氷水をお取り寄せになって水飯などを思い思いに賑やかに興じながら食べます」

風情有る描写の中に「氷水(ひみず)」とあるのは、献上された氷に違いない!

「ガチッ」、スコップが何かに当たる音が聞こえ、夢うつつから現実に

覗き込んでみると大きな氷が有りました! 「ワォー」 思わず拍手

全部で30〜40キロ、くらいかな?

暖冬で、氷の質が悪かったにしては、よく残っていたと思う

掘り出された氷を前にして記念撮影

私も小さいのを2個、オガクズを塗して持って下ります

各々氷を背負って、氷室まつり会場に向う

深緑のブナの中を急ぎます

楽しくおしゃべりしていたら、あっという間に下山

名野川に架かる吊橋を渡り、最後の坂を駆け上がれば県道・石鎚公園線に出る

公民館裏の河原に設けられた祭り会場に到着

「和太鼓 一番風」の力強い演奏が、登山隊一行を迎えてくれる

運び込まれた氷の計量中

さて、重さは? 祭りの最後に発表されるそうだが

氷の目方当てクイズに応募している方々は、興味津々

いよいよ一番大物、84キロがさて何キロに?

尾根で休憩中に背負ってみたけど、フラフラだった

特設の壇上に上がった登山隊

登山隊長から、三方に載せられた氷が氷室まつり実行委員長に渡されると

会場から惜しみない拍手

会場全員、氷室の氷水で乾杯〜

枕草子に「貴なるもの」として登場する「削り氷の甘葛」

その昔、夏の氷は貴族の最高の贅沢だったのでしょう

あらら、殿様に献上する前に頂いてしまいました

宴たけなわ、ゆっくり会場で寛いで最後に発表される氷の目方も知りたいが

(46.9キロもあったそうです)

まだまだ気になる事が残っている

 

氷室伝説の村・本川村が熱く燃えた一日

氷室まつり実行委員会のみなさん 貴重な体験をさせて頂きまして有り難う御座いました

来年は節目の第20回、準備大変でしょうが盛大に催されることをお祈り致します

 

献上氷を運んだ道

@氷室  A手箱山 B越裏門 C雨ヶ森 D安居氷室天神社 

E蟹越 F鏡小山氷室天神社 G高知城

氷室の氷は高知城までどのように運ばれたのだろうか?

手箱山からお城まで直線距離でも約40km この地図の中にそのルートが隠されている

3月21日 手箱山の南に聳える展望の山・雨ヶ森(1390m)に登った際、東方向を眺める

幾重にも重なる山並みの遥か向こうに高知城、  遠〜い!

氷を運んだ道は、次の2つのルートが想像されている

  @ 手箱山〜池川町若山〜安居氷室天神社〜吾北〜領家〜高知城

A 手箱山〜奥大野越〜樫ヶ峠〜蟹越〜領家〜長畝峠〜高知城

ルートの一部を車で走り、付近にある氷室神社を訪ねてみた

氷は神社にいったん奉納されて、「まつりごと」が行なわれたのだろうか?

安居渓谷を見下ろす土居地区にある安居氷室天神社

安居地区の産土神であるこの神社で、12月には神楽太鼓が鳴り響く

中追渓谷からは、切り立った崖の狭い道にハラハラしながら、なんとか蟹越(がにごえ)

重い荷物を背負った早飛脚は、暗い山道を城下目指して一目散に走る

沿線の住人は総出で松明を灯し、水や食事を提供したのだろう

本川村の人々が夢を託した献上氷を運ぶ道は、村と城下を結ぶ夢の架け橋だったに違いない

最後の休み場と考えられる、鏡小山の氷室天神社

神社を出た氷は、長畝峠を越え高知平野に出ればもうお城は近い

この辺りからの平地部は、馬(氷駄)を使ったのかもしれない

氷は、やっと高知城へ 

車で走れば僅かな時間だが、早飛脚だとどのくらいの時間がかかったのだろうか?

暑さの中、融けない工夫は? 他のルートは考えられないか?

何せ400年も前の事、限られた文献から謎を紐解くのは容易な作業ではないだろう

これからも謎のままなのか、あるいは想像を超える事実の発見があるかもしれない

 でも何故か、新たな事実が出てきて想像の範囲が狭まるよりも 

このままロマン溢れる手箱山の氷室伝説として語り継がれるほうが、夢が膨らむような・・・

いかがでしょう?

 

参考文献 「氷室のはなし」  著者、菅谷文則・宮川敏彦・山崎清憲

国道194号広域観光推進協議会発行

本川村は合併して吾川郡いの町となりましたが、本文中、敢えて本川村と書きました

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