以前、瀬戸大橋橋脚の島
岩黒島、櫃石島を歩き、間近にみる大橋の壮大さに圧倒された
与島も歩いてみたいと思いつつ、なかなか機会が無く、何時の間にかフッシャーマンズワーフも閉鎖
今日は、島内の歴史を垣間見ながら周囲6.9kmの島を一周してきます
瀬戸大橋展望台に「日本一 夕日の美しいスポット」と書かれた看板がある
日本一かどうかは?ですが、島々が点在する多島美と青い海に伸びる壮大な瀬戸大橋は素晴らしい
与島パーキングエリアを散策後、石段を下り与島バスストップ入口へ
島民以外の車は第2駐車場(塩浜地区)までで、島内には路線バスか、徒歩でしか入れない
穴部集会所前を通り南へ進むと、北備讃瀬戸大橋を見上げる港に出る
浦城地区の城ノ鼻から防波堤を100mほど進んだ突き当りが、鍋島灯台 (△ 鍋島 21.8m)
英国人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンが設計監督し、1872年11月15日に設置点灯された
以来、緑と赤の光が沖合20kmまで交互に放たれ備讃瀬戸北航路や東航路を行く船の安全を守っている
1991年3月、無人化となったが(当時の灯台職員宿所、退息所は高松市の四国村に移築・国の登録有形文化財)
黎明期の産物として歴史的、文化的価値が高く保存灯台に認定されている
(参考 瀬戸内海島旅入門 斉藤潤 マイナビ出版)
鍋島を眺めながら、浦城バス停で休憩
「坂出与島郵便局」 与島村は、1953年(昭和28)に坂出市に編入された
花崗岩が整然と積まれた石垣の狭い道を上って行くと、学校跡(2008年廃校)
車道に出て少し進むと、島の氏神様、天津(あまつ)神社
境内には文政三年と刻まれた燈籠も有り、厳かな雰囲気の神社です
昭和五十七年十月吉日建立の、石碑に拠れば
天地日月と共にたりゆかむ島々かけて備讃をつなぐ大橋の将来を島の基盤の上に結ばれて
その幸を広き国土に享受せんものと信じ 島民相議りて遂に世紀の移行は進捗す
茲に三つ子島譲渡の基金を恒に尊崇する天津神社に献じ且つ浄罪を合わせて誠心を捧げ
之が歴史を永く銘記して殿宇構築整備に充つ之を以て屋根葺替 拝殿神庫の新築、金刀比羅神社の修復をはかる
祈るところ備讃の海に与島の民衆に 新たなる興行殖産こよなき民福あらしめ給へ 天津神社奉賛会
神社から車道に戻って直ぐ、左に分岐する坂道を上がって行くと、石鎚神社
「ちょっと、お邪魔します」 扉を開けると
お煎餅が供えられた祭壇の真ん中で石鎚蔵王大権現が睨みを利かしていました
それにしても、凄い藪蚊! 早々に退散でした
「与島三十三観音」の石仏を見ながら車道を下る
海岸に出た所で作業されていた方にお断りして、花崗岩(与島石)の採掘跡や海を眺めながら産業道路を進む
1980年には361人の島民がいて、多くは採石業関連の仕事をしていたが
本州と四国を結ぶ瀬戸大橋が与島を通ることになって一変する
瀬戸大橋は、9年6ヶ月の歳月と、1兆1,338億円の事業費をかけて、1988年4月10日に完成
期待した観光業は数年で廃れて人口流出が続き、2010年には63世帯115人となり高齢化が進んでいる
与島の東、300m沖に浮かぶ小さな島は小与島(遠くの三角は大槌島)
周囲1.3kmの島を取り囲むようにたくさんの釣り船が揺らいでいる きっと、好漁場なんでしょう
定期船も通わぬ島に不釣り合いな建物は、廃墟リゾートとなっているホテルアクア小与島跡
採石が最盛期の頃は190人(昭和30年統計)だった人口が、今は2人に減ってしまいましたが
年に一度の春祭りには、チャーター便で上陸した神主さんや元島民の方々が
梶大明神社に集い、神事の後、直会や子どもたちの相撲大会が行われ賑わうそうです
海岸線や岸壁を北へ進んでいくと与島塩浜港に着く
此処は、瀬戸大橋の開通に合わせて開業した大型商業施設「瀬戸大橋フッシャーマンズワーフ」跡
当初はおおいに賑わい、幕末の帆船を模した観光船「咸臨丸」のクルーズが人気だったが
2008年1月運行を中止、フイッシャマンズワーフは2011年11月30日に閉鎖され建物も取り壊されている
美しい斜張橋、岩黒島橋を眺めながらのんびりと釣りを楽しむ人
大迫力の与島橋に圧倒されながら見上げていたら、電車が轟音を上げて走り去る
騒音値が72〜82デシベルだとか、ずっとこの下に居たら耳が聞こえなくなりそうです
与島橋の下を見れば、花崗岩を露天掘した跡に雨水が溜まり大きな池になっている
尚も進んで行くと、アララ・・・ ずっと先まで道が水に浸かって進めません
池を回り込み北側の車道からパーキングエリアに戻れるかと思ってたけど、これでは無理
引き返し、フッイシャーマンズワーフ駐車場跡や釣り人の車が停められた第2駐車場を抜け車道を進む
バスストップの石段を上り、与島パーキングエリアへ帰って来た
平成30年10月13日(土)、「坂出3島物語〜与島・小与島編〜(秋)」が開催され
採石の島であった名残りや、離島航路を支えた千当丸記念碑、鍋島灯台を巡るそうです
与島石を割る匠の技が見られるかもしれません(坂出市観光協会HP)
帰りにちょっと寄り道 昭和43年、番の洲が埋め立てられ陸続きになった瀬居島を訪ねる
竹浦港に車を停め、辺りを見渡すと山腹に赤い鳥居が見える
「展望がええよ」と、地元のお婆さんに教えて貰い、狭い坂道を上がって行く
島の風景は、ホント良いですね〜♪
「法楽稲荷大明神」は、爽やかな風が吹き抜けていました
毎年4月29日は「瀬居八十八ヶ所」の島四国、お接待も有り賑わうそうです
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