2019年06月29日 島の風景”手島”

先週訪ねた豊島(てしま)と同じ名前の島・手島(てしま)が塩飽諸島にある

そう言えば、4年前に讃岐広島を訪ねた時、手島に寄れんかったことを思い出した

夏には、島全体がヒマワリ畑になるとか〜♪

ひょっとして、気の早いヒマワリが咲いているかも?

 

讃岐富士に見送られ、丸亀港6時5分発のフェリーしわく丸に乗って出発 未だちょっと眠い

7時25分、讃岐広島(江の浦港)に寄港し、丸亀港から1時間20分で手島港に着きました

思ったよりたくさんの方々が下りられると思ったら、丸亀から来られたボランティアグループの方でした

今日は、ヒマワリ畑などの案内板を設置されるとか ご苦労様です



港の自販機(島内にはこの1基だけ)側にある手島案内図



幻の唐辛子・香川本鷹が植えられた畑の向こうに見える山は、尾方山(217.1m)

島の「ミニ四国」 文字が磨滅していて何番さんかは分からない



手島自然教育センターは、平成元年に廃校となった丸亀市立手島小中学校(明治22年5月創立)跡地を利用した宿泊施設

道の反対側の広場には、バーベキュー設備もあり、キャンプが出来るそうです

可愛いハクチョウソウが、白い帯を作って咲いている いい雰囲気〜♪



道沿いに植えられた花々を楽しみながら、西浦海岸へ向かう

海岸を見下ろすヒマワリ畑は、背丈がやっと50cmほどに育ったところ

3人の方が草引きをされていたが、海水浴で賑わう頃に合せて咲き出すのかな?



「石棺登り口」の案内板から山道に入ってゆく

直ぐの分岐を、左に進むと石の宝塔が祀られていて行き止まり

分岐まで引き返し、やや急になった道を登ってゆく



こんなところに「ミニ四国 四十八番」

ロープ場を過ぎると、山腹を巻くように付けられた横道に飛び出す さて、右か左か?

30分近く右往左往したが、石棺があるような雰囲気も無い 諦めて引き返す



海岸まで下りてきて、汗を拭いながら休んでいたら

港で会ったボランティアグループの皆さんが、車でやって来られた

お話をお聞きすると、これから指標や案内板を設置しながら石棺まで登られるという

お誘いいただいて、皆さんと一緒に仕切り直しです

先ず、宝塔分岐に「案内板」と「→」を設置して登ってゆく

前をゆくのは、この後訪れる予定の安養寺ご住職だそうです



横道に出て、案内板を立て左へ

石仏(ミニ四国 二十五番  三十番)が祀られた尾根を乗り越し、緩やかに下って行く



海側はかなりの急斜面ですが、ウバメガシが茂る雰囲気の良い道が続く

ミニ四国五十一番を過ぎ、小広くなった所で左折すると、程なく前方が開けてくる



  小手島(後は佐柳島)が良く見える一角に、古代埋葬と伝わる石棺がある

真下の「埋葬の浜」に下りてゆく登山道が有るけど、干潮時でないと磯を渡れないとか

石棺の右奥から北方向を見ると、△108.4m高の越  沖には笠岡諸島(真鍋島、北木島)が近くに見える



未だ作業が残っているという皆さんにお礼を言って、一足先に下山する

右か左かと迷った分岐(左上の写真)には、素敵な案内板が立ち「→」を取り付ける準備がされていた

目の前に広がる青い海、 夏には海水浴や地引網で賑わうのでしょう

潮が引いて来たので、金光崎の磯を回り込むとタングステン鉱採掘跡や埋葬の浜へ行けそうです

さぁ、港の方に引き返しながら神社仏閣を尋ねます

立派な門構えの前で挨拶し通り過ぎようとしたら、家の中から「休みませんか」と声をかけて頂いた

石棺まで案内してくださったのは手島出身の方で、1ヶ月に一度丸亀市から島の整備に通われているとか

声をかけて下さったのは、その方のお母さん

今は島に帰った時だけしか使ってないそうだけど、江戸時代に建てられたという家は開放感があって落ち着きます

有り難くお接待を受けながら、島の歴史等をお聞きしました 「ありがとうございます」



尾方山の麓にある「八幡神社」 島第一の氏神様で、毎年9月15日に祭礼が行われる

昭和30年には人口685人と賑わっていたが、平成になって100人ほどになり、今は17人だとか(2019.1.1は、14世帯19人)

長い石段を上がり立派な石灯籠を過ぎると、慶長14年(1609)再建(棟札が残る)の社殿がある

社殿天井に吊るされた木製のプロペラは、海軍試作の攻撃機に搭載されていたそうです



八幡神社から坂道を下りてゆくと、忽爾山蓮華院 安養寺

平安時代の木造阿弥陀如来坐像がご本尊、また室町時代の絹本着色千手観音立像図が祀られ

境内には、鎌倉時代前期といわれる石造宝塔が安置されている

尾方山へは境内奥から登れるが、この時期はマムシや虫がいるし

登るんなら、紅葉が綺麗な秋が良いということで、またの機会とする



石棺までご一緒したご住職に見送られ、安養寺の立派な石垣道を下って直ぐの金輪寺(きんりんじ)へ

金輪寺の本尊は、木造薬師如来坐像(11世紀)で、両脇に木造持国天立像、木造多聞天立像(共に10世紀頃)

平家の落人が住みついたと伝わる手島ならではの、歴史を感じさせるお宝です



 権現神社(東照神社)の鳥居を潜り、尾方山山麓に広がる集落を見る

人名の島(にんみょう 幕府支配でなく住民自治が認められていた島)・手島は立派な家が多い

塩飽大工、塩飽水軍の伝統を継いでいるのでしょう

自然石の石段を踏み鬱蒼とした森に入ってゆくと、高頭山中腹に祀られた権現神社

辺りに厳かな雰囲気が漂う



東照大神が祀られた神社は、「権現さん」と親しまれており

その歴史は古く、慶長13年 (1608年)、寛文3年(1663年)の棟札が残っている

また、天明4年(1784年)に奉納された珍しい船絵馬も残っ ているそうです
 
境内奥から坂道を下って行くと傷みかけた祠があり、そこから少し下るとミニ四国が祀られている

隣に、石燈籠や「豐公遺徳碑」「明治天皇 〇〇紀念碑」の石碑が並ぶ



港まで帰り、木陰で休んでから村中集落の路地を歩く 

市指定有形文化財「制札場」 (後は尾方山)

江戸時代、本島の塩飽勤番所からの触書や法度等を掲示した建物です

塩飽諸島には24の制札場があったが、今は本島、櫃石島と手島にしか残っていない



港の植え込みにある大きな石灯籠

港から東にある両墓制の埋め墓を通り過ぎたところが、 遊歩道入口

高州浜まで1300m続いているが、少し入ってミニ四国・八番さんが祀られているところで引き返す



港で暫く待っていると、旅客船ニュービサンが入港してきた

ボランティアグループの方々と一緒に乗船

12時10分 手島港を出港 小手島、讃岐広島の青木港へ寄港して江の浦港へ



4年前に歩いた讃岐広島、心経山、王頭山が懐かしい

青木石造りの灯台「波節岩(はぶし)灯標」の向こうに、筆ノ山や中山を従えた我拝師山が大きく見える



江の浦港でフェリーしわく丸に乗り換え、穏やかな海を眺めながら丸亀港に帰って来た

今日は、心温まる嬉しい出会いに感謝しつつの島散策でした

港で見送って下さった素敵な笑顔のお年寄りの方々に、また会いたくなりそうです

夏休みに入れば、ヒマワリ咲く島に子どもたちの声が響き、海水浴で賑わう事でしょう

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