四国霊場第十一番札所藤井寺から「へんろ転がし」の難所を越え
第十二番札所の焼山寺を訪れたのは、
2007年11月、もう随分前になる
今日は、焼山寺山中腹にある行場、竜王窟を尋ねます
鍋岩P
(9:00)〜(9:25)杖杉庵
(9:30)〜(10:00)焼山寺
(10:15)〜(10:45)竜王窟
(10:55)
(11:55)焼山寺山
(12:15)〜(12:40)焼山寺
(12:50)〜(13:15)杖杉庵
(13:25)〜(13:40)P
(4時間40分)
杖杉庵から歩く予定が、鍋岩からの車道が通行止め
車道を700mほど奥に進み、ヘアピンカーブ横の堰堤に車を停め歩き始める
焼山寺まで2.6kmです 石畳の参道を緩やかに登ってゆく
梅の花が綻び始めた馬路の集落を抜けると、大銀杏と老杉が象徴の杖杉庵(じょうしんあん)
遍路の元祖といわれる衛門三郎が、21回目の遍路で逆打ちし大師に巡り合えた場所とされる
大師が墓標として三郎の杖を立てると、杖から芽が出て大杉が育ったとか
車道を串刺しながら、へんろ道をゆく
老杉に迎えられ、金剛力士像が眼光鋭く睨みを利かす仁王門を潜る
「遍路ころがし」といわれる阿波の難所、四国霊場第十二番・摩盧山焼山寺
縁起によると、大宝年間(701〜704)に役行者(小角)が蔵王権現を祀って開山
弘仁5年(815)頃、この地を巡錫された弘法大師が
山に棲む大蛇が火を吐いて農作物や村人を襲っていることを聞き、退治に向かう
虚空蔵菩薩や三面大黒天の加護のもと「摩盧の印」を結びつつ迫り
大蛇を岩窟の中に封じ込め、焼山寺を創建されたそうです(奥の院途中に「大蛇封じ込めの岩」)
本尊の虚空蔵菩薩は、大師作と伝わる
摩盧(まろ)とは梵語で水輪の意味なので、摩盧山は「火伏の山」に因んだ山号です
境内のベンチで一休み 大川原高原の風車群が見える
境内左奥の車庫・作業小屋(?)前が分岐 直進は奥の院(1100m)ですが、左折して聖天堂へ
建物を抜けると道は2本ありますが、左側の広い道を緩やかに下ってゆく
分岐から6分、石垣を回り込むと「大聖歓喜天堂」 福運厄除けの神様です
聖天堂からさらに下っていくが、ザレや倒木などやや歩き難い
左すぐ下に見える林道と並走しだすと、巨大岩壁が現れる
割れ目に鎮座するのは目洗大師 その台座下から僅かですが水が浸み出ている
この水で目を洗えばいいかどうか分かりませんが、お参りはしときましょう
岩壁直下をさらに進むと、行場の雰囲気漂う岩屋が現れる
此処が、竜王窟です
覆さってくる大岩壁の基部に祠が祀られ、熊野修験の行者札が供えられている
(不動明王の梵字カーンマン 奉修行阿波國焼山寺山入峯天下泰平如意祈攸
平成三十年 九月吉祥日 熊野修験 那智山青岸渡寺)
焼山寺の開基は役行者だし、祠の中にはひょっとして蔵王大権現?
祠の隣には、自然石に彫られた不動明王と竜
徳の高い行者が岩屋で不動法を行じたところ
龍王がその徳を慕って千の燈火を献じたという話を本で読んだことがある
そんなことを思い出しながら、巨岩からいっぱいパワーを貰い山頂を目指す
竜王窟傍らの道標(奥の院1300m)に従い、急坂を登る
参拝道でしょうが、やや荒れています
立ち枯れ木や、寝返り木を見ながら尾根を進む
元気の良い巨木 ヒノキだったかな?
尾根を塞ぐ岩塊基部を抜ける 右側は絶壁です
ロープを伝い、落ち葉に埋まりかけた石段を慎重に登る
右下、木の間に焼山寺 杉が赤っぽくなり嫌な季節の到来です
焼山寺からの直登ルート合流点手前に、何か板が吊るされている
「通行禁止」でした すみません
直登ルートと分かれ、1時間25分で合流です(右写真)
急坂を一登りで、弘法大師ゆかりの杖立権現
木々に設置された名札を見ながら、細尾根を奥に進む
焼山寺山(938m) 蔵王大権現が祀られた堂、奥の院
春山のような剣山系を眺めながら、お昼にします
下山は、名札の付けられた木々を見ながら下ってゆく
存在感のあるアカガシの大木
火を吐く大蛇が閉じ込められている
「 大蛇封じ込めの岩」
余談ですが、加賀の白山の頂上付近に「千蛇ガ池」という火口湖がある
白山を開山した僧・泰澄が、悪蛇1000匹を封じ込めた池だそうです
蛇は、開山にインパクトを与える名脇役なんですね
巨岩に祀られた不動明王と弘法大師、その間に竜王窟と同じ行者札が納められている
杉やモミの巨木が並ぶ参道を下り、聖天堂入口に戻って来た
焼山寺境内から、奥の院を見上げる
下りは早い 途中、旧へんろ道に入りショートカットもしながら杖杉庵
お遍路さん二人にすれ違い、駐車地点着
折角の大山晴れに・・・と、雪山に心を残しながらの遍路道でしたが
修験の行場、竜王窟に大感動の山旅となりました
何より、大蛇が棲んでいたというお山 この時期じゃないと、よう歩きません
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