2024年07月13日  ”丸亀市ウォーキング”


この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用。承認番号 平18総使 第582号る



折角の三連休なのに、予報はずっと雨

ちょっと遠出を予定していたけれど、残念ながら中止です

で、石垣修復中の丸亀城を散策してから、ほんの少し金毘羅街道を歩いてきました



丸亀市民の広場に車を停め、大手二の門へ向かう

見上げれば、本丸跡に聳える丸亀城天守

丸亀城は、2006年「日本の名城100選」に選ばれている



風格漂う大手一の門を潜り、高石垣を見ながら見返り坂をゆく



本丸の南西隅に、四等三角点  丸亀城 (66.21m)



高さ約15mの天守は三層三階櫓で、全国に12ある現存天守の一つです

現存天守とは、江戸時代またはそれ以前の創建当時のまま修復保存されている天守のことで

他に、松山城、宇和島城、高知城、松江城、備中松山城、姫路城、彦根城、犬山城、丸岡城、松本城、弘前城がある



丸亀城は、豊臣秀吉に信任された生駒親正により高松城の支城として亀山に築城されたそうで

 説明によると、解体修理の際3階の壁の中から万治三年(1660)の祈祷札が見つかったとか

   慶長二年(1597) 生駒親正、那珂郡の亀山に支城として丸亀城を造る
元和元年(1615) 一国一城令により丸亀城は廃城となる     
寛永二十年(1643) 山ア家治が丸亀城再築に着手する      
明暦三年(1657) 伊予大洲藩主加藤泰興が丸亀城在番となる 
万治元年(1658) 京極高和、丸亀に転封              
万治三年(1660) 丸亀城普請を幕府より許される         



天守の最上階(3階)から北、この後歩いてゆく丸亀港方面を見る



二の丸井戸の奥から、本丸の高石垣を見る



三の丸の月見櫓跡を見て、延壽閣別館横を通り

飯野山を見ながら搦手門跡へ下りてゆく



振り返れば、見事な石垣に圧倒される



平成30年(2018)、台風や大雨により帯曲輪(おびぐるわ)西面石垣、

三の丸坤櫓(ひつじさるやぐら)跡石垣が崩落し、復旧工事が進められています

現在、11746個の石を回収し復旧作業が進められていますが

出来るだけ元通りに積み上げるため工事を延伸し

当初の目標から4年遅れの、令和10年3月末が完成目標です(丸亀市HP)

丸亀城を後にして、金毘羅街道を目指して西へ



明治四年(1871)建立の「中府の大鳥居」(金刀比羅宮一の鳥居)

6.7mもある堂々とした大鳥居を見ながら、以前金毘羅街道を歩いたことを思い出す

2007年12月、天気の悪い中よう奥之院までお参りしたもんです



今日は逆方向、丸亀港の太助灯籠を目指します

大鳥居の少し北に、京大坂口仲間中が明和四年(1767)に建立した

「奉道案内立石 従是金毘羅町口江 百五拾丁」の丁石(丸亀港から移転したと思われる)



少し街道を逸れ、中府の会下(えげ)天満神社へ

お若い女性の宮司さんや氏子さんが、明日行われる「甘酒祭」「筆供養」の準備中でした

話の輪が広がり、「こんぴら船々 おいてに帆かけて シュラシュシュシュ〜♪

回れば四国は 讃州那珂の郡 象頭山 こんぴら大権現 一度回れば〜♪」と歌いながら

「那珂の郡」が、道真公が支庁を置いた「中府」のことだと教えてくださり

NHK朝ドラ「虎に翼」の寅子の母、はるさんの出身地が丸亀で

平山地区のお寺さんに祀られているから、寄ってみたらと薦めてくださった





こんぴら湊まるがめ街道案内板のある一角に建つ道標



江戸時代初期、寛永十八年(1641)建立と思われる壽覚院観音堂は

丸亀藩主であった山ア家の菩提寺で、丸亀市で一番古い建物だと紹介されている

余談ですが、15日に琴弾八幡宮を尋ね石造りの立派な大鳥居の説明を見て

三代藩主の山ア虎之介治頼が、承応二年(1653)に寄進したということを知りました



南条町に、金毘羅奉献灯籠と二本の石柱がある

石灯籠は、寛政八年(1796)大坂講中により奉納されたもので

金毘羅街道の玄関口、福島湛甫(たんぽ 港)の突堤に在ったものを移設したことが記されている

また、石柱には丸亀城の築城者が山ア甲斐守家治であることや

石垣を築いた羽坂重三郎の供養塔(墓)が壽覚院にあること

そして、もう一つの石柱は遍路道標で

四国八十八カ所霊場七十七番札所道隆寺、七十八番札所郷照寺への距離が記されている



丸亀港への道しるべ「こんぴら湊まるがめ街道」の可愛い路面標示



高架のJR丸亀駅を潜り、駅の北側へ



みなと公園の金毘羅丸



丸亀港 天保九年建立(1838)の「金毘羅街道一の灯籠」

常夜灯千人講で寄付を募った折

江戸本所相生町の塩原太助が最高額80両を寄進したので「太助灯籠」とも呼ばれている



JR丸亀駅から北東、平山町に在る法華宗本行寺



天満神社で教えてもらった通り、掲示板に「虎に翼」のポスターが貼られている

門を潜って境内に入ると、右側に

日本初の女性裁判官、三淵嘉子(旧姓和田)と和田芳夫(前夫)、長男が眠る永代合祀墓があり

すぐ南の生家武藤家の墓には、両親と兄弟が眠っているそうです



通町商店街を歩いて、市民の広場に帰る

雨も降らず、のんびり3時間余りの散策でした



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