賑やかだった三連休、お盆が過ぎ、またいつものサイクルに戻りましたが
なかなか雨も降らず高温の日が続いたので、人も草木もくたびれ気味です
といっても、エアコンの効いた部屋で、ダラダラしていたら脚が弱ってしまいます
ちょこっと里山を歩いて、汗をかいてきましょう
多目的研修棟P
(7:17)〜湿原〜(8:57)阿弥陀越
〜(9:36)猫山
(10:00)
〜こねこ山〜(10:52)城山
(11:03)〜(11:37)P (4時間20分)
森林公園多目的研修棟駐車場に駐車し、歩き出す
池横を通って綾歌森林公園入口へ
第3駐車場は、そこそこ車が停まっています
舗装路を上がり、「琴ヶ浦→」に従い左折
良く踏まれた歩き易い道をゆく
水辺で可愛いサギソウが舞っています〜♪
橋は渡らず、右の湿地帯へ
以前、トキソウを見た湿地帯は進入禁止になっていました
サギソウ
キンミズヒキ アキノタムラソウ
尾根に出て(直ぐ右に第三東屋がある)、作業道に並走する登山道を進む
見晴台から、箱庭のように整然とした讃岐平野を見る
猫山ピストンなら、ベンチ前を真っ直ぐ行けばいいのですが
12年前の記憶を頼りに、左に分れる中腹道を歩いて、
阿弥陀越の金山神社を尋ねてから猫山ピークを踏むことにします
「こんな道だったんかなぁ」と言いながら歩いていたら
樹間にニューレオマワールドが見えて、記憶が蘇りました
あじさい広場登山口で、猫山への道を右に分けて直ぐ「畔田・高見峰→」道標
道標に従い右折すると、道幅も広くなってきた
鷹丸山(60分)分岐に鎮座する阿弥陀地蔵は、嘉永二年(1849)建立
花が供えられ、今も大切に護られています
阿弥陀越へ下り立つ 左へ折り返す車道は畔田、右は金剛院・満濃へと続く
高見峰への取り付きを見て、林道金剛院線を右に進むと、山腹に石段がある
林道で分断されたのでしょう、道の下側に参道が続き鳥居が建つ
石段を上がり鳥居を潜って進むと注連石が建ち、その奥に金山神社が見えてきた
以前、金剛院集落から歩いた時、苦労して神社に辿り着いたことが懐かしく思い出される
天御中主神が祀られた金山神社
金剛院集落の鎮守社で、昔は妙見社と呼ばれていたそうです
石灯籠手前に在る面白い形の手水鉢は、文化四年(1807)九月八日と刻まれている
神社から数分で、猫山登山道に合流
猫山名物の急坂を、休み休み15分ほど頑張れば
カゴノ木が目立つ猫山山頂 (四等三角点 猫山 467.62m)
厳しい暑さは続いているけれど、暦の上では立秋も過ぎ、間もなく処暑
秋の気配を運んでくる、爽やかな風が心地良い
讃岐富士を取り囲むおにぎり山や、ニューレオマワールドを見ながらの冷しソーメン
さっぱりとして
喉ごしが良く、美味しかったです
貸し切りの山頂で、のんびりしているうちに汗も引いたので
そろそろ城山へ向かいましょう ロープが設置された急坂を下ってゆく
第三東屋で水分補給しながらジョウビタキと遊んだ後、登山道へ入ってゆく
ほんの少しの急坂を登り詰めれば、名前も可愛い「こねこ山」
西長尾城跡の東の曲輪群東端に位置する「ヤグラ台跡」
「櫓」とは、見晴らしの良い高台に造られた武器庫で、弓矢を射たりして敵の襲来を防いだ場所です
登山道にこだわるグランパと別れ
「城山の取り付きで待ってるから」と、前方に本峰を見ながら広い作業道を行く
登山道にある見晴台からは、南の展望(まんのう町方面)が開けている
遠くに見える尖りピークは、大川山(1043m)
木に隠れた左端のピークが鷹丸山(387.2m)かな?
この後「東の曲輪列跡」や「最高所のヤグラ台跡」をみながら歩いて、遊歩道と合流
難攻不落の西長尾城も、今は急坂をほんの一登りで
本丸(主郭)です
城山山頂 (四等三角点 新古 375.07m)
西を見れば、大きな象頭山を始め、五岳山が勢揃い
曲輪跡や
猫山、大高見峰
井戸跡を見ながら下りていたら
ツルリンドウが咲いていました♪
尾根や谷筋に様々な遺構が遺る西長尾城は
応安元年(1368)、長尾大隅守元高が初代藩主となって以来200年、中讃地域の拠点でしたが
戦国末期に、長宗我部氏の侵攻に遭い降伏、長宗我部氏重臣・国吉甚左衛門に城主の座を譲り国吉城となる
天正十三年(1585)、秀吉の四国征伐に屈し西長尾城(国吉城)の歴史に幕を下ろす
タムラソウに見送られ、「第一東屋」、「語らいの広場」をゆく
日差しは厳しいけど、風があったのでそんなに暑くなく
サギソウやツルリンドウも咲いていて、楽しい散策でした
歩いた道 ホーム