延暦16年(797)に開かれた北山越の太政官道に沿って
後年、頭駅(領石)、
吾椅駅(本山)、丹治川駅(立川)、
山背駅(新宮馬立)、大岡駅(川之江)の五駅が置かれる
権若峠越、
国見越、笹ヶ峰越、横峰越と険しい山越えがある、このルートは
江戸時代中期の享保3年(1718)からは、土佐藩主の参勤交代道として使われた
今日は未踏の権若峠越を歩き、穴内に繋ぎましょう
(参考文献 土佐の道その歴史を歩く 山崎清憲著)
釣瓶登山口P
(9:00)〜(9:27)中休場
(9:32)〜(10:09)権若峠
(10:17)〜(10:41)林道
(10:57)
〜(11:18)権若峠
(11:30)〜(11:59)中休場
(12:08)〜(12:30)登山口P (3時間30分)
南国ICを出て国道から県道33に入り、「歴史の道 北山道→」に従い左折
楠木渡瀬に「北山越えの道」石碑が建つ
領石川は川床が浅かったので、渡瀬(飛び石伝いの渡渉点)が多かったようです
「亀ノ本渡瀬」標柱の表示に従って、領石川対岸の「ハンド岩」を見に行ったけど
竹が茂って巨岩の全容は見え難い
県道をさらに北へ進み、橋を渡って川沿いに進む
領石川(亀岩川)上流付近で、突如大岩が現れる
此処は、藩主の休憩所であった「石ノ休場」だそうです
登山口1.1q手前の渡瀬
藩主や重臣は、渡瀬に仮設された板橋を渡ったとか
それにしても、右岸、左岸と何度も渡渉するのは大変なことだったでしょう
「←釣瓶登り口」に従い狭い道を下り、2台の車の奥、川沿いの空スペースに駐車する
これから山の測量をされるという方々が「稜線でまた会いましょう」と機材を担いで出発された
歩く道が違いますのでお会い出来ませんでしたが、山中に人がいると思うと安心です
橋を渡って100m程林道を進めば「権若峠釣瓶登山口」の標柱
「峠まで二千四百三十米 約二時間三十分かかる」と書かれてるけど
標高差が400mくらいですので、そこまではかからないと思います(1時間10分ほどでした)
急坂をジグザグ登ってゆくと、巨岩が出てきた
この岩に腰かけて休んだのかしら、なんて話していたら
小広くなっている平地「中休場(なかやすば) 」に着きました
私たちも、参勤交代行列に倣って休みましょう
此処から峠まで、1.5qです
暫く平坦な道が続いた後、木の根剥き出しの深く掘れ込んだ掘割道となる
参勤交代の折りには、近在の住人が道普請したのでしょう
当時の労苦が偲ばれます
岩が迫り出した石畳の道を歩けば、岩盤を穿った名残も感じられる
峠まで1000m 風が吹き抜けて寒い!
元気よく伸びた萱を掻き分けると、権若峠
図根三角点がある(標高560mくらいかな)
一面萱に覆われた権若峠から、太平洋、高知市、南国市を眺める
権若峠に建つ「参勤交代北山道」の石碑
安永三年弥生六日 九代藩主・山内豊雍(とよちか)候が
江戸参勤の砌りに詠まれた和歌が刻まれている
雨に猶 みどり色こき 松蔭に 春をふかめて つ ゝじ咲そふ
因みに、安永三年弥生八日豊雍候が詠まれた歌碑が笹ヶ峰と横峰に建っているので
参勤交代の一行は、八日には笹ヶ峰と横峰の難所を越え川之江本陣に着いたようです
権若峠を越えて北へ、土佐山田町穴内への道を辿る
最初の内はまずまずの道で、土佐街道マスコットやピンクテープが有りましたが
南側に比べると、谷筋なので石ころが多く歩き難い
道が崩れて無くなってるが、直ぐ先に古道の続きが見える
右に、高巻き気味の踏み跡が在って、何とか繋がりました
「鶏岩」 の巨岩
昔、捨てられた廃鶏が、この岩付近に住みつき
大岩の上で鳴いていたので、鶏岩と呼ばれだしたそうです
廃林道を横切ってからは、益々道が荒れて分かり難い
数少ない指標を頼りに、谷筋を下ってゆく
直ぐ下に林道が見えてきたけど、道はごちゃごちゃです
ヤレヤレと下り立ったのに、穴内の登山口を示す道標がありません
地図に載らない林道をうろうろしながら植林越しに見下ろすと
30mほど下に林道が走っている
多分、下の林道沿いに登山口があるのでしょう
とは言え、ほんの短い距離でも、こんな状態では下りて行く気にもなれません
おまけに、峠の南側に比べると北側の風は冷たくて指先が悴んでくる
「登山口も見えたんじゃけん、もう引き返そうや」
権若峠まで引き返しのんびり下っていたら、雪が舞い出した!
寒い筈です
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