2018年03月11日  ”土佐北街道”


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る


土佐藩の参勤交代道は、享保以前は野根山街道経由で阿波から海路を取っていたが

風や潮の流れによっては50日もかかる場合があったそうだ

そこで、山越えの土佐北街道(北山越)が開かれた

高知城を出立して領石、本山、立川本陣、笹ヶ峰を越えて伊予に入り、馬立を経て川之江

仁尾の港から船で室の津(相生付近)へ向かう

これまで、野根山街道国見越笹ヶ峰越 横峰越を歩いたが

今日は、北山越のほんの一部、柳瀬から立川番所まで歩いて来ました


P(8:20)〜(8:25)柳瀬入口〜(8:50)東屋(9:00)〜(10:05)伐採地(10:15)
(10:25)千本しらや橋〜(11:10)立川トンネル北口〜(12:10)立川番所(12:30)
(13:45)立川PA(14:25)〜(14:30)P               (6時間10分)



県道路肩に車を停め、少し引き返し、道標に従い街道に入る

立川川に架かる不安定な橋を渡ると、歴史を感じる案内板がある

ふむふむ・・・読めません



植林帯に朝日が差し込み、川面が光る立川川沿いを遡ってゆく

道はしっかりしていて、要所には「参勤交代道」や「北山越」の道標も設置されている

高知道(一の瀬第一トンネル北口)の下り線、続いて上り線を潜る



街道は急峻な斜面の枝尾根、枝沢を拾いながら横断する

大岩横の坂道 転げたら深い谷に落ちて行きそうです

 「こんな道、駕籠を担いで上がるのは大変よ!お殿さんも歩いたんじゃない?」

歩き始めて30分、東屋から見下ろすと立川PAに沢山の車が停まっている



道が造成されている広場を横切り、小さな木橋を渡る

相変わらず急斜面を行く

平成の街道を走り抜ける車の音がひっきりなしに聞こえてくる



整然と積まれた石垣 住居か茶店でも有ったんだろうか?

地元の方々は、参勤交代の日が近付くと道普請に駆り出されご苦労だったと想像する

水の音が段々大きくなって来た もう少し増水したら飛び石が水没しそうです



今日は高い山を越える訳でも無いので軽い気持ちだったのに、急坂も有って結構しんどい

植林帯では、杉やヒノキの小枝や葉が敷き詰められたふかふかの道



大水で流されたのでしょう 道が消えているが、問題無し

伐採地に出ると今日随一の展望 

「良き眺めじゃ 駕籠を下ろせ 伊予の国はまだか?」 「あの一番奥が国境にございます」

古の街道から、平成(高知道)と昭和(県道5号線)の街道を見下ろしながら暫し休憩

苦労して山越えをしていた土佐のお殿さんも、平成の街道を見たら何て思うでしょう

立川トンネルが抜ける山の向こうに、今日目指す立川番所があります

山の斜面が赤っぽくなっているのが気になるけど、さぁ、レトロウォーク後半です



杉の木が根こそぎ倒れ道を塞いでいるが、何とかすり抜ける

植林帯をどんどん下って来ると、往時の面影を残す「千本しらや橋」  良い雰囲気〜♪



車道に出て橋を渡ると、道脇に剥皮された楮が束ねられている

今では国内産の楮が激減したので、和紙メーカーは輸入物を使っているとか 貴重品です

「北山越え」の指標に従い、再び山道へ入って行く



地神さんでしょうか? 手を合わせて通り過ぎます

車道に下り立って草刈機の音がする方へ進むと、「北山越え」の指標

(写真は手前の方を向いていますが、奥へ進みます)



お墓掃除していた方が、萱が茂っていると言ってたけど・・・元気が良過ぎです

何とか萱場を抜け街道に復帰 滑りそうな丸太を渡ると



お馴染みの龍馬さんのキャラクターが迎えてくれました♪

立川トンネル北口真上で、手摺につられて保線路を下りて行ったのが間違いの元

車道に下り立ったところから立川の集落へ続く街道が見つかりません(橋を渡れば県道がありますが)

踏み跡らしきが有ったので、河原へ下りて右岸を遡ってみたけど



大岩だらけの荒っぽい川岸をもうこれ以上進めません 「藤川の渡し」は何処よ!

直ぐ上に街道が有る筈と左の急斜面を這い上がったら、幕岩に阻まれ引き返す

仕方がないので橋を渡って県道を進み、立川の集落へ ゴール間近でアララでした

県道沿いの上名村番所跡付近と思われる辺りで「土佐北街道」の道標に従い

橋を渡り道を失った手前まで行ってみる



今にも綻びそうな梅の木を見ながら奥に進むと、山道が続いています

警護屋が在ったのはこの辺りかな?

県道まで戻りほんの少しで、立川番所書院(たじかわばんしょしょいん 国の重要文化財)

寛政年間に番役人川井惣左衛門が建立したもので、立川御殿と呼ばれていた

参勤交代の行列は城下を出て3日目、立川本陣に止宿

翌朝7つ時(午前4時)出立し、駕籠立休憩所を経て河又橋を渡り

「北山越」最大の難所予土国境笹ヶ峰(1015m)を越える

新宮馬立本陣で休憩後、横峰を越えて川之江本陣を目指す



立川番所からの帰り、県道を逸れて茶店(立川PA)に立ち寄ってお昼にしました

平成3年11月建立の「新土佐街道」石碑に、参勤交代道の説明が有り

「高知自動車道川之江〜南国間は、いみじくもかつての土佐街道とほぼ並行し

太平洋と瀬戸内海を最短距離で結ぶものであり、このたび新土佐街道としてよみがえった」

今、土佐の国と伊予の国を約4300mの笹ヶ峰トンネルが繋ぐ

三代の道に、時代(とき)の流れを感じます

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